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羽生結弦、2年前の告白「同じものをやるって、めちゃめちゃ怖い」 それでもなぜ彼は、アイスショーで“過去の名プログラム”を演じ続けるのか?
posted2022/12/15 11:00
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Asami Enomoto
羽生結弦がプロフィギュアスケーターとなって初めてのアイスショー「プロローグ」は、横浜、八戸の2都市で計5公演が開催された。
公演は約90分、長丁場にもかかわらず出演するスケーターは羽生のみという例のない挑戦である点でも注目を集めたが、数々のプログラムを披露する中であらためて示したスケーターとしての技量、表現力の高さは、工夫を凝らした構成や演出とともに好評を博し、幕を閉じた。
公演では寄せられた質問に対して答えるなどトークの場面があった。最終公演となった12月5日の回では、おおよそ、このような話をした。
「なんか、いつか僕が死んで、ほんとうに自分のプログラムを滑る人がいなくなったとしても、今の時代って映像でも残ったり、皆さんが生きていらっしゃる間は、記憶に残ってくれると思うんですよね。その中で僕の演技が生き続けてくれてたら、ほんとうにうれしいなって思って。そんな生き続ける演技をこれからもしたいなって思ってます」
筆者が思い出した、2020年四大陸選手権での言葉
言葉の根底には、作品を残したいという思いも感じられた。
そのとき、思い起こす言葉がある。2020年、韓国・ソウルで行われた四大陸選手権だ。
この大会で羽生は、ショートプログラムを『Otonal(秋によせて)』から『バラード第1番』に、フリーを『Origin』から『SEIMEI』に変更して臨み、優勝を飾った。
「自分が目指しているスケートは、ただ難しいことをするスケートではないと思いましたし、『Origin』も『Otonal』も自分の呼吸じゃないな、と感じました」
プログラムを変更した理由をこのように説明しているが、変更したことはそれが伝わった段階から反響を呼んだ。シーズンが終盤を迎えるタイミングであったことと、『バラード第1番』も『SEIMEI』も、それまでに複数シーズン使用し、そして数々の名演技を見せてきたプログラムであったからだ。