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「棋士になりたい」と大手企業を退職…アマから編入試験に挑戦、小山怜央さんに漂う“藤井聡太五冠のような寄せ”と人間性とは

posted2022/12/13 11:03

 
「棋士になりたい」と大手企業を退職…アマから編入試験に挑戦、小山怜央さんに漂う“藤井聡太五冠のような寄せ”と人間性とは<Number Web> photograph by JIJI PRESS

棋士編入試験5番勝負第1局で徳田拳士四段(左)に勝利し、対局を振り返るアマチュアの小山怜央さん(代表撮影)

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田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

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 全日本アマ名人戦、アマ竜王戦などの主要棋戦で優勝しているトップアマの小山怜央さん(29)は、プロ公式戦で所定の成績を収め、11月から「棋士編入試験」に臨んでいる。棋士養成機関の「奨励会」で修業した経験のない初のケースだ(過去の4人の受験者はいずれも元奨励会員)。

 小山さんが歩んできた将棋人生、受験資格を得るまでの経過、棋士編入試験の第1局での見事な勝利などについて、田丸昇九段が解説する。【棋士の肩書は当時】

東日本大震災で実家が津波で流された

 小山怜央さんは1993年に岩手県釜石市で生まれた。小学2年で将棋を覚え、4歳下の弟と一緒に地元の将棋教室に通った。上達すると盛岡市の大会や小学生の全国大会にも出場した。やがて、棋士になりたいと思うようになった。

 小山さんは2008年8月の15歳のとき、縁あって紹介された北島忠雄七段の門下で、関東の奨励会入会試験を6級で受けた。結果は受験者同士で対戦する1次試験で、2勝3敗と負け越して不合格となった。ちなみに、同年の奨励会入会者で後年に棋士になったのは、増田康宏六段、佐々木大地七段、古森悠太五段、黒田尭之五段である。

 小山さんは釜石高校1年のとき、朝日アマ名人戦・北東北ブロックの代表選手として全国大会に出場した。そしてベスト8に勝ち進んだ。その実績によって、プロ公式戦の朝日杯将棋オープン戦への出場資格を初めて得た。2010年に18歳の菅井竜也四段(現八段)と対戦したが、若手精鋭の実力を思い知らされた。

 2011年3月11日、東日本大震災が起きて東北地方などに甚大な被害をもたらした。釜石市の海岸沿いにある小山さんの実家は津波で流され、家族は仮設住宅での暮らしを余儀なくされた。それでも小山さんは、パソコンでネット将棋を指していたという。

 小山さんは岩手県立大学時代の2015年、アマ棋戦で最も伝統と格式がある全日本アマ名人戦で初優勝した。4年前の大震災について記者に問われると、「つらかったけどメンタル面で強くなり、みんなで協力して乗り越えたという自信が将棋にも役立っています」と語った。

2016年の棋王戦2回戦で見せた真摯な対局態度

 アマ名人戦での優勝で、2つの特典を得た。プロ公式戦の棋王戦への出場と、「三段リーグ編入試験」の受験だ。

 小山さんは棋王戦の1回戦に勝ち、2回戦で飯塚祐紀七段と対戦した。

【次ページ】 アマがプロ公式戦に出場するのは容易ではない

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