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61歳で死去・渡辺徹さんは将棋愛にあふれた人だった 「天国で好敵手の志村けんさんと…」かつて取材した田丸昇九段が悼む
posted2022/12/20 11:00
text by
田丸昇Noboru Tamaru
photograph by
BUNGEISHUNJU
2014年には日本将棋連盟から「将棋親善大使」を委嘱された。田丸昇九段は以前に将棋雑誌の企画で、渡辺さんを取材したことがあった。渡辺さんが語った将棋への熱い思いやエピソードを紹介する。
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渡辺徹さんは1961年の生まれで、茨城県古河市の出身。少年時代はサッカーに熱中した。高校1年のとき、老人ホームを慰問していた地元のアマ劇団の公演で大道具を手伝った。やがて、ある時代劇に出演することになった。つたない演技ながらお年寄りは泣き笑いしてくれ、大きな拍手をもらって新鮮な感動を受けたという。高校卒業を控えて進路を決めるときには、当時のことを思い出した。そして大学進学ではなくて、演劇の道に進みたいと決心した。
将棋を覚えたきっかけは時代劇の合間
渡辺さんは知人に勧められ、伝統があって「演劇界の東大」と呼ばれた「文学座」演劇研究所の入所試験を受けた。1980年の受験者は約2300人。その中から渡辺さんら600人が1次試験に通った。2次試験の面接会場には、看板俳優だった北村和夫さん、江守徹さんらが並んでいて、渡辺さんは「お尻を出す覚悟で入りたい」と言ったという。それが評価されたかどうかは分からないが――60人の合格者に入り、翌年以降はさらに絞られていった。入所から5年後の1985年、渡辺さんは正式に座員となった。
渡辺さんは1981年、石原裕次郎さんが主演した人気ドラマ『太陽にほえろ!』で抜擢され、刑事役として俳優デビューした。その後はテレビ・映画・舞台で活躍。明るいキャラクターでバラエティ番組にも出演した。1987年にはドラマで共演した縁で、タレントで女優の榊原郁恵さんと結婚し、おしどり夫婦として知られた。
渡辺さんは1993年の頃、あるテレビ時代劇の撮影現場で、役者やスタッフが合間に将棋を指しているのを見て興味を抱き、将棋のルールを覚えた。当初は誰と指しても負け、入門書を読んでもよく理解できなかった。そのうちに、大山康晴十五世名人や米長邦雄永世棋聖の著書を読んで、将棋界と棋士の存在を知った。
渡辺さんが語っていた将棋の魅力とは
私こと田丸昇九段は1999年の夏、東京・信濃町の文学座を訪れ、将棋雑誌の企画で渡辺さんを取材した。