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清原和博が甲子園で伝説になった瞬間 「明日チームは優勝する。俺は2本のホームランを」「一度でいいから“PLの清原・桑田”と」

posted2022/08/18 20:00

 
清原和博が甲子園で伝説になった瞬間 「明日チームは優勝する。俺は2本のホームランを」「一度でいいから“PLの清原・桑田”と」<Number Web> photograph by Katsuro Okazawa/AFLO

1984年、PL学園の清原和博

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NumberWeb編集部

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Katsuro Okazawa/AFLO

雑誌「Sports Graphic Number」と「NumberWeb」に掲載された記事のなかから、トップアスリートや指導者たちの「名言」や写真を紹介します。今回は清原和博にまつわる4つの言葉です。

<名言1>
今、PL時代を振り返ると……、やっぱり1年の時の苦しかった日々が強烈に蘇ってきます。
(清原和博/Number883号 2015年7月30日発売)

◇解説◇
 恩師である元PL学園監督の中村順司氏との対談で、寮生活の思い出をこのように語った。

「15歳で初めて親元を離れて、あの厳しい上下関係の中での寮生活。すぐにホームシックになりました。入学式の2週間前に入寮したんですが、その時は先輩、優しいんです(笑)。『今はまだお客さん』ということで、炊事洗濯、掃除、ユニフォームのたたみ方とか、丁寧に教えてもらいました。でも、入学式が終わるともう……」

 数多くの強豪校からスカウトを受けて、PL学園を選んだ清原。寮生活と上下関係は15歳の青年にとって非常に過酷なものだったとは有名な話だが、長距離砲としての天性はすでに圧倒的だった。

 1年生にしていきなり4番打者に据えられると、同学年の桑田真澄とともにチームをけん引。いきなり夏の甲子園で優勝を経験し、高校野球のスターダムへと駆け上がっていった。

<名言2>
明日の試合、チームは勝って優勝する。そして俺は2本のホームランを打って、藤井の記録を抜いてみせる。
(清原和博/Number626号 2005年4月21日発売)

◇解説◇
 清原とPL学園は春夏含めて5季連続の出場を果たしている。激戦の大阪府大会や関西地区のライバル相手に力を見せ続け、さらに甲子園では2年の春と夏に準優勝、3年春にはベスト4という好成績である。

 その中で1984年センバツ1回戦、初回いきなり清原にホームランを叩き込まれた砂川北高校の辰橋英男の言葉が、清原の凄みを端的に表している。

「ケタが違いました」

 しかし「打倒PL」を掲げる全国各地の強豪校相手に、優勝にはあと一歩届かない状況が続いた。

 そして迎えたのは、今も語り継がれる1985年夏の甲子園大会である。

【次ページ】 あそこまでのホームランは初めてだったんじゃ

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