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清原和博が甲子園で伝説になった瞬間 「明日チームは優勝する。俺は2本のホームランを」「一度でいいから“PLの清原・桑田”と」
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byKatsuro Okazawa/AFLO
posted2022/08/18 20:00
1984年、PL学園の清原和博
一度でいいから「PLの清原・桑田」と書かせてみたい
<名言4>
一度でいいからPLの清原・桑田と新聞に書かせてみたいと努力していたんです。
(清原和博/Number143号 1986年3月5日発売)
◇解説◇
PL学園の清原和博、と言えば必ずセットになってついてきた表現が「KKコンビ」である。同学年の絶対エース桑田真澄とともに名字が同じ「K」であること。2人が大車輪の活躍を見せてPL学園は当時の高校野球の“横綱”的存在として君臨したが、当時の報道は「桑田・清原のKKコンビ」という報じ方が多かったのだという。
冒頭の発言はプロ1年目、いわゆる「KKドラフト」を経て西武ライオンズに入団した頃の清原のものである。
春季キャンプ中のインタビューで、激しいライバル意識を垣間見せていた。その闘争心があったからこそ、高卒1年目にしてレギュラーを獲得し、打率.304、31本塁打78打点という破格の成績を残した。稀代のスラッガーとして……高校時代の3年間が彼のベースになった。そして8月18日で55歳となった清原が残した、甲子園での伝説の数々は永遠に残り続ける。