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「勝てば1万円、負ければ12万円」「負けそうになるとイカサマも…」“賭け将棋”で生活費を稼いだ真剣師とは何者か?
text by
小島渉Wataru Kojima
photograph byGetty Images
posted2022/08/14 11:00
賭け将棋で生活費を稼いだアマチュア「真剣師」とはどんな男たちだったのか?
プロ棋士よりも真剣師のほうが稼げた?
花村は真剣師や将棋道場の経営、中国出兵を重ね(丸坊主だったのはマラリアの影響で髪が抜けたから)、1944年に木村義雄名人の勧めもあって、特別に設けられた棋士の編入試験を受けた。花村は試験を受けるかどうか、かなり悩んだようだ。というのも、当時の棋士で食べていけるのは一握りで、真剣師のほうが稼げる可能性が高かったからである。日本将棋連盟HPの「日本将棋の歴史」によれば、初めて新聞に指し将棋が掲載されたのは1898年、現在のように新聞棋戦が始まって対局料が支払われたのは1908年である。初のタイトル戦「名人戦」が1935年に開始されたことを考えると、職業として安定したのは第二次世界大戦後に棋戦がどんどん増えていってからであろう。その時代背景を踏まえれば、将棋の真剣師があちこちにいたのも納得がいく。ただ花村が真剣師として現役だった時代も賭け将棋は違法だったので、将棋を教えていた警察官にガサ入れをそれとなく警告されて、慌てて逃げ出したこともあった。
さて、編入試験の条件はプロ五、六段と6局指して3勝以上なら合格だった。持ち時間は各7時間。1日に何十番も指す早指しを得意にした花村には勝手が違ったか、第1、2局に連敗してしまう。次に負けては後がなくなる。そこで花村側の応援団が思いついたのが、本気にさせるための賭け将棋だった。双方に乗り手がつき、1局に1万5000~2万円も賭けられた。
第3、4局は神奈川県の温泉地・湯河原で行われた。結果は花村2連勝。花村は同じ旅館内で開帳された博打で遊び、相手が1手指したらパッと指し、すぐに博打に戻ったという。花村がマイペースで戦えたのに対し、相手の棋士は調子を大きく崩した。花村は第5局も制し、晴れてプロ入りとなったのだった。
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ちなみに、プロ編入試験は2005年にも特例で実施され、当時の瀬川晶司アマ(現六段)が合格した。制度化されたのは2014年で、現在の今泉健司五段、折田翔吾四段が受験して突破している。8月18日からは、女流棋士の里見香奈女流五冠の編入試験が始まる。五番勝負は1カ月に1局のペースで行われ、3勝すれば合格となる。
瀬川、今泉、折田、里見は元奨励会三段だ。花村のように奨励会を経験していないアマチュアの受験はまだ例がない。ただ、奨励会に入ったことがない29歳の小山怜央アマが次戦勝利で受験資格を得るところまできた。相手はベテランの中川大輔八段。早指しの朝日杯将棋オープン戦はアマ大会に似た持ち時間のため、アマチュアも力を発揮しやすい。小山アマはサラリーマンを辞めて本気でプロ入りを目指しているようで、人生がかかった勝負になりそうだ。
<中編へ続く>
※参考文献
宮崎国夫『修羅の棋士 実録裏将棋界』(1997年、幻冬舎、文庫版)
宮崎国夫『伝説の真剣師小池重明伝』(2003年、木本書店)
宮崎国夫監修『新・アマ将棋日本一になる法 』(2008年、木本書店)
鈴木啓志著、森下卓推薦『東海の鬼 花村元司伝』(2012年、マイナビ)
花村元司『鬼の花村・将棋指南』(2012年、日本将棋連盟)
※『たちまち強くなる ひっかけ将棋入門』(1979年、KKベストセラーズ)も収録されている。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。