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サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
「2試合で2点獲った選手を前半で代えるのかぁ…」あの熱狂から20年、稲本潤一42歳が語った日韓W杯の“忘れがたい悔しさ”
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph byJMPA
posted2022/06/02 11:04
2002年の日韓W杯ベルギー戦、左足を振り抜いてゴールを決める稲本潤一。日本中を熱狂させた20年前の記憶を紐解いてもらった
その試合では48分に森島寛晃、さらに75分には中田英寿のゴールが決まり、日本は2-0と快勝して、グループリーグ1位で決勝トーナメント進出を果たす。中田の追加点をアシストしたのが市川だった。
「選手としては考えるんですよ、代えられた理由を」
6月18日。決勝トーナメント1回戦の相手はトルコだった。宮城スタジアムへ移動した日本代表の先発メンバーには、やはり稲本の名前も記されていた。
12分に失点を喫した日本。トルシエ監督はチュニジア戦と同様にハーフタイムに稲本を下げて市川を投入するが、得点は奪えず。さらに86分にはその市川に代えて、森島をピッチへ送っている。
それでもトルコの守備は堅く、日本は0-1で敗れ、不完全燃焼のまま大会を去ることになった。
「トルコが強豪かといえば、正直そこまでのチームではなかった。でも、あっさりと負けてしまった。その印象が強く残った大会でした。ベルギー戦、ロシア戦でしっかり結果を出せたけれど、残りの2試合では前半で交代させられている。その悔しさが強く残りました。やっぱり選手としては考えるんですよ、代えられた理由を。前半で交代というのは、そうあるものではないし……。
コンディションの問題もあったかもしれないけれど、2試合とも同じような形での交代だったので、戦術を変えるくらいの力が僕にはなかったのかな、って思ったりもしました。『最初の2試合で2点獲った選手を前半で代えるのかぁ』という気持ちにもなりましたね」
熱気と興奮。それが大きければ大きいほど、祭りの終わりは物悲しいものだ。しかし、あまりにもあっけない敗退は、試合に出た選手、出られなかった選手、双方に悔しさを刻んだ。トルシエジャパンのメンバーは若く、誰もが4年後のドイツでの捲土重来を誓っていた。
けれど、その2006年もまたあっけなく苦い思い出として、日本代表の歴史となった。そして、稲本は2010年南アフリカ大会のメンバーにも選出され、カメルーン戦とデンマーク戦で途中出場している。
「2002年に比べれば、2006年や2010年のほうがワールドカップの価値をすごく認識していたので、出たいという気持ちが強くなりましたね。ワールドカップを経験していつも思うのが、もっともっとうまくなりたい、ということ。そういう経験が積めたことは本当に感謝しています」<インタビュー後編へ続く>
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