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稲本潤一はアーセナルのことをよく知らなかった? 超冒険的な移籍のウラ側「なんとかなるやろう、と。いざ行ったら面食らいました」

posted2022/06/02 11:05

 
稲本潤一はアーセナルのことをよく知らなかった? 超冒険的な移籍のウラ側「なんとかなるやろう、と。いざ行ったら面食らいました」<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

2001年、稲本潤一はアーセン・ベンゲル監督に見込まれアーセナルに移籍。ベルカンプ、アンリ、ピレスら超一流選手の凄みを肌で知ることになった

text by

寺野典子

寺野典子Noriko Terano

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Naoya Sanuki

前編に引き続き、2002年の日韓ワールドカップで2試合連続ゴールを決めた元日本代表MFの稲本潤一選手(南葛SC)のインタビュー記事をお送りします。(全2回の2回目/前編へ)※文中敬称略

「もちろん、ゴールも深く印象に残っています。でも同じくらい印象深かったのは、ワールドカップ期間中、日本中が大騒ぎして、熱狂している凄さ。スタジアムへ行くときや、試合後にバスの窓から見た沿道を埋める人たちというのは、今まで日本で見たことのない光景でした。途切れることなくずっと人が手を振ってくれて、『これだけの人が集まってくれるのか』と。その盛り上がりや、サポーターの人たちの応援の熱量が記憶にありますね」

 2002年の日韓ワールドカップについて、もっとも強く残っている思い出について訊くと、稲本潤一はそんなふうに語ってくれた。

 1998年。日本は初めてワールドカップに出場を果たしたが、勝ち点を1ポイントも手にすることなく敗退。その後、フランス人監督のフィリップ・トルシエを招聘し、自国開催のワールドカップへ向けて歩み始めた。

 このときトルシエ監督は、年齢制限のないA代表と、2000年に予定されているシドニー五輪を戦うU-23代表のふたつのチームの指揮を執ることが決まっていた。しかし、1998年にアジアユースを視察し、翌年のワールドユース(現U-20ワールドカップ)でも指揮を執ることになる。

世界への扉となったワールドユース“準優勝の屈辱”

 稲本潤一、小野伸二、高原直泰をはじめとした、のちに“ゴールデンエイジ”と呼ばれるチームを率いたトルシエ監督は、そのワールドユースで2位という成績を残している。しかし、スペインと対戦した決勝戦では0-4と惨敗。決勝戦という高みまで登りつめたからこそ、屈辱は大きかったのだろう。ゴールデンエイジたちが続々と海を渡っていったことを見ても、そう想像するのは容易い。

「99年のワールドユースでの出来事がヨーロッパへ行くきっかけになりました。スペインとの差は非常に大きく、勢いだけでは勝てない。明らかな地力の差を感じました。このままではダメだと痛感したことを覚えています。当時からトルシエさんは『ヨーロッパでプレーする選手が増えれば、もっともっと日本も強くなれる』と常々言っていた。監督の言葉がすべてではないけれど、トルシエさんじゃなければワールドユースも決勝まで行けなかったと思いますし、そういう意味では大きな存在だったと感じます」

【次ページ】 「正直、アーセナルのことをよく知らなかった(笑)」

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