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父は服役、母は病に冒され「どう生きていけば…」 気鋭の格闘家YA-MANが路上で磨いた勝負度胸《RIZINで皇治と対戦》

posted2021/12/28 17:05

 
父は服役、母は病に冒され「どう生きていけば…」 気鋭の格闘家YA-MANが路上で磨いた勝負度胸《RIZINで皇治と対戦》<Number Web> photograph by RISE

9月23日にRISEで行われた北井智大戦。1Rわずか43秒、YA-MANは強烈な右フックでKO勝利を飾った

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布施鋼治

布施鋼治Koji Fuse

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RISE

大晦日の格闘技イベント『RIZIN.33』に出場するYA-MAN選手のストーリーをお送りします。(“ブラックパンサー”ベイノア編はこちら

「オープンフィンガーグローブマッチ(以下OFGマッチ)が導入されていなかったら、いまごろ自分はキックボクシングを辞めていたはず」

 5月から11月にかけてRISEで3連勝。大晦日の『RIZIN.33』で皇治との対戦が決定し、キックボクシング界において“時の人”となった感のあるYA-MANはそう考える。

「プロデビューしたときに『3敗したら、辞めよう』と考えていました。今年2月に3敗目を喫したので、実際にそう思い始めました」

 窮地を救ったのは今年5月、YA-MANがホームリングとするRISEでスタートしたOFGマッチだった。キックボクシングはボクシンググローブで殴り合う競技だが、OFGマッチはMMAで使用される拳の部分のアンコが薄いグローブで優劣を競う。正直、それまでのYA-MANは名もなきライト級(63kg以下)のランカーにすぎなかった。しかしながら山口侑馬とのOFGマッチデビュー戦では先制のダウンを許しながら、2Rに相手をコーナーに追い込んだ末にパンチの連打で逆転KO勝ち。OFGマッチでの初陣を飾ると、初めてスポットライトを浴びた。何が人々の関心を惹きつけたかといえば、打ち合いになっても全く恐怖心を見せなかったことに尽きる。

 薄いグローブで殴り合う時の心境を聞くと、彼は笑顔とともに「リングの中では怖くない。痛みで闘志がなくなることはないですね」と当たり前のように答えた。

「唇に穴が空いて、そこから味噌汁が…」

 なぜ恐怖を感じないのか。そのルーツを辿っていくと、ストリートファイトに明け暮れていた中学・高校時代に行き着く。

「たぶん20~30戦はやっているんじゃないですかね」

 生まれ育った埼玉県富士見市の中学校に入学して2週間もすると、1学年上のトップに呼び出された。しかし彼らが約束の時間に会うことはなかった。

「その前に乗り込んで、ボッコボコにしてやりましたよ(笑)」

 YA-MANの腕っぷしの強さは評判となり、年上の生徒から「お前、調子に乗っているからぶっ飛ばしてやる」と幾度となく近所の公園や駐車場に呼び出された。相手が金属バットを持っていることもあった。

「でもね、金属バットを持っている奴はだいたい話し合いで終わらせようとしていましたね」

 ケンカのスタイルはいわゆる“タイマン”が多かったが、ひとりで20名ほどを相手にしたこともあるという。

「そのときは相手のグループの中で一番強い奴を速攻でボッコボコにしてやりました。そうしたら誰も向かってこなかった」

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