- #1
- #2
格闘技PRESSBACK NUMBER
父は服役、母は病に冒され「どう生きていけば…」 気鋭の格闘家YA-MANが路上で磨いた勝負度胸《RIZINで皇治と対戦》
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph byRISE
posted2021/12/28 17:05
9月23日にRISEで行われた北井智大戦。1Rわずか43秒、YA-MANは強烈な右フックでKO勝利を飾った
気がつけば、富士見市内では誰もYA-MANにケンカを売る者はいなくなっていた。そうした中、当時埼玉県下でケンカが最も強いといわれる生徒が他の中学校にいた。YA-MANは「余裕で勝てるよ」と公言していたが、実際にやりあったら完敗を喫した。身体はYA-MANより遥かに大きかった。
「そのときは怪我がヤバかったですね。唇に穴が空いて、そこから飲んだ味噌汁が漏れていた(笑)」
父親は薬物依存で服役、尊敬する母にはガンの宣告
そもそもYA-MANは荒れた環境の中で育っている。父親は薬物依存で服役したため、物心がついたときには家にいなかった。裕福だった父方の実家から3000万円の養育費が振り込まれたが、それを預けた母の両親は大金をもったまま行方をくらませた。周囲からは、よく裏稼業の方に進まなかったと感心される。
絶体絶命の中、看護師をしながらスナックを切り盛りして自分と兄を必死に育ててくれた母に対して、YA-MANは深く感謝する。ケンカ三昧の日々に別れを告げたのは高校2年のときだった。尊敬してやまない母がガンを宣告されたことがきっかけだった。
「母親が死んでしまったら、この先、俺はどうやって生きていけばいいのか」
通っていた高校は偏差値35しかなかったが、やればできると信じた。
「ちょうどそのとき母親の周囲に建築関係の人が多かったので、その影響で将来は自分で建築の会社を作ろうと思い立って勉強するようになりました」
努力の甲斐あって、東海大建築学科に入学する。そこで偶然学生キックボクシングと出会う。この競技を知らないわけではなかった。幼なじみの金子梓・翼兄弟が、幼少の頃から取り組む格闘技だったからだ。
「僕は翼と同い年。金子家には、道場がある。そこで本格的に習ったことはないけど、遊びでボクシングをやったりしていました」
奇しくも現在は金子兄弟もプロのキックボクサーとして活躍中で、「お互いの試合は見に行くし、一緒に練習することもあります」と交流は続いているという。
そして東京のTARGET渋谷に入会したとき、YA-MANの運命は決まった。タレントとしても活動する宮城大樹会長は、本名の「杉山」から「今日からお前はYA-MANだ」と命名したのだ。
路上で磨いた勝負度胸「リングでは死なないんで」
OFGマッチとの出会いは「タイミングが良かった」としかいいようがないが、同時期にサラリーマン生活に見切りをつけ、ジムで働きながら練習に専念しようと決心したことも大きかった。
「ちょうどコロナでジムも大変な状況だった。こうやって自分の人生を歩めているのもジムのおかげだと思ったので」