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「箱根駅伝だけで大学入学は踏み出せない」「徳本監督でなければ絶対になかった」31歳今井隆生が明かす“挑戦を決めた”本当の理由
posted2022/01/01 17:02
text by
荘司結有Yu Shoji
photograph by
Yuki Suenaga
「人生一度きりの学生生活」でしか挑戦できない高みだと思われてきたが、近年は実業団を経て入学した学生ランナーも現れるなど、その裾野は広がりつつあるように思える。
そしてまた今回も、異色の経歴を持つランナーが箱根路へと挑む。
今井隆生。駿河台大学4年、31歳。現役体育教師。
一旦職務を離れて自己研鑽に励むことを目的とした「自己啓発等休業」制度を活用し、一昨年4月に心理学部3年に編入学。「2年限定」での箱根駅伝挑戦を決意し、チーム初出場を勝ち取った。
飯能市の中学校にいた一人の体育教師は、なぜ箱根路を目指し始めたのか。編入学に至るまでの道のりと、駿河台大の徳本一善監督との出会いから、その“意外な理由”が見えてきた(全3回の1回目/#2、#3に続く)。
〈一度は諦めた箱根駅伝出場の夢を諦めきれず駿河台大学へ――〉
30代間近での英断には、そんなドラマティックな筋書きを思い浮かべがちだが、今井の箱根駅伝挑戦に至る「これまで」には予想を裏切るストーリーが秘められている。
東京・保谷市(現・西東京市)生まれの今井は、中学で長距離に目覚め、都立の進学校・大泉高に進学。箱根駅伝は毎年欠かさずテレビで見てきたものの、目標というよりは「淡い夢」に過ぎなかった。
「箱根駅伝をめちゃくちゃ走りたいかと言われると、そんなイメージが湧く感じでもなかったですね。『箱根駅伝いいなあ』って思うくらいで、どこまで本気で目指していたかと言ったら、もうたかが知れた程度だったと思います」
日体大に進学、迷わずトライアスロンの道へ
当時の今井が箱根駅伝よりも憧れを抱いたのは、トライアスロンだった。井出樹里(スポーツクラブNAS)が、2008年の北京五輪トライアスロン女子で、日本人初の5位入賞。その活躍を見た高校3年の今井は、トライアスロンへの転向を決意した。
「水泳と自転車とランニングの3種目で勝負できるのが、シンプルに面白そうだなと。別に箱根駅伝に出るのを諦めたわけじゃないんですよね。たまたま、陸上以外にやりたいなと思える競技に出会えただけでした」
進学した日体大では迷いなく、トライアスロン部に入部。高校生で5000m14分台の走力を武器に、メキメキと実力を伸ばしていった。3、4年時には関東学生トライアスロン選手権で準優勝を果たし、日本学生選抜にも2度出場。折しも、在学中の13年に日体大は10年ぶりの箱根駅伝総合優勝を果たしている。方向は違えど、今井も学生アスリート界をけん引する存在となっていた。