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女子キックボクサーが“マイノリティー”だった時代を経て…26年ぶり後楽園ホール大会で溢れた熱気と『KOがないから客は呼べない』への反論
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph bySusumu Nagao
posted2021/09/19 06:01
9月12日後楽園ホール大会のメインに勝利した寺山日葵(右)と、敗れた小林愛三。26年ぶりの“聖地”には拍手と熱気があふれた。
トップの熊谷直子は闘志むき出しのファイトが売りで、当時の大会プロモーターが「男の選手に熊谷の爪の垢を煎じて飲ませてやりたい」というほどすさまじかった。ちなみにこの大会のメインで熊谷と闘ったのは、のちに母国ドイツで女子ボクシングのスーパースターとなったレジーナ・ハルミッヒ(当時の表記はハルミック)だった。
このときの女子キックの単独興行は95年8月開催の第2弾『闘志端麗』でついえた。理由はシンプルで、女子だけでマッチメークするのが難しくなってしまったからだ。海外から複数の強豪を招聘できるほど、団体に興行を回す資金が潤沢にあるわけでもなかった。
1990年半ばの格闘技といえば、まだ3K(暗い・汚い・怖い)というイメージがこびりついており、現在のように若い女性がダイエット目的でキックボクシングのジムに通うような習慣もなかった。キック、ましてやプロで活動する女子はマイノリティーにすぎなかったのだ。
もしも神村エリカに好敵手がいたら
その後、女子キックの台頭は現在GIRLS POWERのエグゼクティブプロデューサーを務める神村エリカの出現を待たなければならない。学生時代の神村は通っていた中学の不良のトップ(もちろん男子)と真正面から殴り合っても一歩も引かないほど根性が据わっていた。もっと好敵手に恵まれていれば(最大のライバルはキックの親戚であるシュートボクシングのRENAだったか)、そして途中で体調を崩していなければ、間違いなく一時代を築き上げることができる選手だったと断言したい。
好敵手の不在。それは神村の現役時代に限った話ではない。熊谷も苦しんだし、80年代から90年代にかけ、女子キックではパウンド・フォー・パウンドで世界最強だったルシア・ライカ(オランダ)は好敵手がいないばかりに、男子選手とのリアルファイトという禁断の実に手を出した。
しかし、それから時代は変わった。ここ10年、女子キックは競技としてよりもまずダイエットに最適な競技として世間に認知され、キッククラスのある格闘技ジムやフィットネスクラブには一般女性が足繁く通うようになった。女子キックは「見る」ではなく、「自らやる」という形で世間に浸透したのだ。
そういう類の女性と比べたら少ないとはいえ、競技志向の女子も明らかに増えた。それは大風呂敷を広げているわけでもなく、日本に限った話でもない。そうでなければ、アジア最大の格闘技プロモーション『ONE Championship』で今年9月にMMAを中心とした女子だけの大会が開かれ、その中で女子キックの試合が組まれることもなかっただろう。