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女子キックボクサーが“マイノリティー”だった時代を経て…26年ぶり後楽園ホール大会で溢れた熱気と『KOがないから客は呼べない』への反論

posted2021/09/19 06:01

 
女子キックボクサーが“マイノリティー”だった時代を経て…26年ぶり後楽園ホール大会で溢れた熱気と『KOがないから客は呼べない』への反論<Number Web> photograph by Susumu Nagao

9月12日後楽園ホール大会のメインに勝利した寺山日葵(右)と、敗れた小林愛三。26年ぶりの“聖地”には拍手と熱気があふれた。

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布施鋼治

布施鋼治Koji Fuse

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Susumu Nagao

 第1ラウンド終了のゴングが鳴ると、観客席から温かい拍手が湧き起こった。“格闘技の聖地”後楽園ホールで実に26年ぶりに開催された、女子選手だけによるキックボクシングイベント『RISE GIRLS POWER.5』の第1試合での出来事。失礼ながら、片や1戦1敗、もう一方もプロデビュー戦とあって、ともに知られた選手というわけではない。にもかかわらず熱気を帯びたムードになったのはなぜか。筆者は、気持ちと気持ちのぶつかり合いがストレートに伝わったからと解釈した。

 第3試合では個人的にベストバウトといえる試合内容を堪能した。試合開始早々、この日がデビュー戦の辻井和奏が伸びやかな前蹴りをキャリアに勝る(2戦全勝)山本知美に決め、場内を大きくどよめかす。しかし、最終ラウンド(3R)終了間際には山本の方がパンチのラッシュで観客席をヒートアップさせていた。まさに一進一退ではないか。

 17歳の辻井はセンスを感じさせながらも如何せんスタミナがいまひとつ。疲れが表情に思い切り露出してしまう場面が多々あった。対照的に山本の方は尻上がりに調子を上げ、最後までスタミナを切らすこともなかった。ないものねだり好きな筆者の妄想は……。

「お互いの長所を組み合わせたら、最高のキックボクサーができるのに」

女子キックが歩んできた「苦難の歴史」

 女子キックボクシングは苦難の歴史を歩んできた。キック史家のtakasanによれば、そのスタートは1969年にフランスからアマチュアの女子選手を招聘して、エキシビションマッチを行なったときと言われている。女子だけの大会のスタートは70年代半ば、なぜか青森県だったと聞く。94年10月14日、後楽園ホールで行なわれた女子単独の記念すべき初興行は、今はなき全日本キックボクシング連盟主催の『闘色兼備』だった。

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