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“才能溢れるナイスガイ”木下雄介投手の早すぎる死…スクープの陰で問われる「静かにお別れする権利」と報道の自由
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byKYODO
posted2021/08/12 06:00
3月、オープン戦に登板した中日の木下雄介投手
週刊誌のみならずチームに常駐する番記者をもコントロールできず、後手に回った球団が発表したのは、もちろん記事掲載が大きな理由だが、その記事をネットなどで見た多数の人々が、球団、本社に問い合わせたこともあったようだ。それらは木下さんが新型コロナのワクチン接種をしていたことと関連づけようとしており「球団が発表できないのはやはりワクチンが原因だからなのか?」と隠蔽を疑うものが含まれていた。
厚労省に報告されるワクチン接種後の副反応例一覧に、年齢や日付などから木下さんと思われる例が記載されているが、因果関係の項目には「評価不能」とある。壮健で若いアスリートがこのコロナ禍に倒れれば、ただでさえ感染爆発で不安にかられている国民が疑心暗鬼に陥るのも無理はない。しかし万が一、過失があったとしてもそれは国や製薬会社であって、球団には隠蔽する理由がない。7月6日から8月6日まで沈黙を守ってきたのはひとえに家族の「意向」を最優先しようとしたからだ。
スクープよりも大切なことはある
木下さんの家族の「意向」は親族と、ともに汗を流した同僚だけで静かにお別れしたいというものだった。その思いを汲んだからこそ、選手にも「自分の家族にも言うな」と伝えられたという。それでも情報が漏れるのは世の常だ。ただし、多くのマスコミはその情報をキャッチした上で「意向」を尊重し、記事化を見送っていた。結果としてすっぱ抜かれた競合社の記者はもちろん、ドラゴンズのほぼ全選手がこのスクープ記事を支持していない。「事実を書く」という記者の使命よりも、大切な人の「死」に直面した家族の「意向」こそが重んじられてしかるべきという考えだ。
愛する妻子を残し、これから咲かそうとしていた野球人生をも絶たれ、木下さんの無念を思うと胸が痛む。同時に人間が絶対に避けては通れない「死」が、なぜもっと丁重に扱われないのかを考えさせられた。事件や事故の被害者はどうなのか。伝える側の一人として、スクープよりも大切なことはある。そう肝に銘じたい。