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デスマッチファイター・ドリューは血がドクドク流れても試合を止めなかった 「ケガある、傷ある。でもやる。大好きだから」

posted2021/06/30 11:00

 
デスマッチファイター・ドリューは血がドクドク流れても試合を止めなかった 「ケガある、傷ある。でもやる。大好きだから」<Number Web> photograph by Norihiro Hashimoto

ドリュー・パーカーは血だらけの背中でリーグ戦決勝を闘い抜き、観客を魅了した

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橋本宗洋

橋本宗洋Norihiro Hashimoto

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Norihiro Hashimoto

 大日本プロレスのリーグ戦『一騎当千~DeathMatch Survivor〜』は、3月3日に始まり6月28日の後楽園ホール大会で決勝戦を迎える長期の闘いになった。こうなることは、誰も予想していなかった。

 当初、予定されていた決勝大会は5月だったのだが、緊急事態宣言により大会が流れた。その後、複数の選手、関係者が新型コロナウイルスに罹患したため6月の前半は団体の活動を休止している。

 6.28後楽園は久しぶりの“聖地”開催。開会挨拶で、社長の登坂栄児は「選手たち、今日はいつもより緊張しております」と言っていた。

 1ブロック4選手で4ブロック。勝ち上がった選手が6.24新木場1stRING大会で準決勝を争った。伊東竜二が神谷英慶に勝ち、ドリュー・パーカーはビオレント・ジャックを下した。

葛西vs伊東の試合に憧れたドリュー

 伊東は45歳、キャリア20年を超えるベテランで、大日本のデスマッチを長く牽引してきた。葛西純戦でプロレス大賞ベストバウトを獲得したのは、もはや“伝説”だ。

 その葛西vs伊東を見て日本のプロレス、デスマッチに憧れを抱いたのがドリューだ。イギリスはウェールズ出身の23歳。14歳でデビューし、2019年に来日すると滞在期間を延長、昨年からは大日本所属となった。異名の1つは“デスマッチ・プリンス”であり、“デスマッチ・ガイジン”と自称することもある。「外人」は、今は公式には使われない言葉。しかし日本を愛し、日本を主戦場にして日本のプロレスに誇りを持つ外国人選手として、あえてスラングとして“ガイジン”と言うことがある。たとえばスタン・ハンセンでありワイルド・ペガサス(クリス・ベノワ)であり、近年ならケニー・オメガ。大日本の合宿所で暮らすドリューは、彼らの系譜に連なる選手なのだ。

 ジャックは大日本と並ぶもう1つのデスマッチ団体、プロレスリングFREEDOMSのレギュラーであるメキシカン。ドリューはジャックとの準決勝を「デスマッチ・ガイジンの一番」決定戦と位置づけた。

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