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「どこの鈴木やねん」から始まって…こうして20歳の鈴木一朗は“イチロー”になった《誕生秘話》
posted2021/01/11 11:01
text by
石田雄太Yuta Ishida
photograph by
Sankei Shimbun
「イチロー」は今、二十歳である――。あの年、恩師との出会いがもたらした登録名変更の舞台裏を、関係者の証言で紐解く。〈全2回の2回目/#1から続く〉
【初出:Sports Graphic Number 870号(2015年1月22日発売)「二十歳のイチロー誕生秘話」/肩書などはすべて当時】
バッティング練習を見て「10年は安泰やで」
白いエナメルの靴に、金のサングラス。
分厚いドルの札束をレジの前でドサッと落として、20歳の鈴木を仰天させた、オリックスの新監督。土井正三に代わって就任したばかりの仰木彬が突然、ハワイにやってきたのである。もちろん、ウインター・リーグに参加していた選手たちの視察が目的だった。ヒロ・スターズの試合は雨で中止となって、観戦は叶わなかったのだが、仰木は鈴木のバッティング練習をケージに貼りついて見ていた。仰木と同じく、そのオフ、オリックスの一軍バッティングコーチに就任した新井宏昌が、当時をこう振り返った。
「ハワイから帰ってきた仰木監督が、『若くてイキのいいのがいる』と言っていてね。そこで鈴木の名前を聞かされたんです。私は解説の仕事で一度だけ、彼のバッティング練習を見たことがありました。でも正直、目が離せないほどのインパクトはなかった。大きな動きの中でタイミングを取っていて、いい当たりとそうでない当たりがはっきりしていたんです。ところが、仰木監督は『お前の知らん選手でいいのがおるんや』と得意気で、『10年は安泰やで』とまで言ってました。そこまで言われれば、私にも鈴木一朗の名前はインプットされますよね(笑)」
20歳の鈴木一朗が持っていた“見分ける目”
ところが、1994年2月1日。宮古島キャンプの初日、新井はイチローのバッティングを見て、仰天する。
「タイミングの取り方、しなやかさ……あの“振り子”は衝撃でした。前の足を大きく動かして、自分からピッチャーに仕掛けて、軸を動かしながら攻め込んでいく。あんなふうに打つ人を、見たことがありません。
あれだけ大きく動いてしまうとタイミングを外されやすいので、一軍のコーチ陣にも『あの打ち方じゃダメだ』という人もいました。でも20歳の彼は、自分の主張を曲げなかった。しかも彼は、聞く耳も持っていました。たとえばティーを打つとき、『ピッチャーの動きに合わせてバッターがタイミングを取るのが野球やろ』と言うと、先に動き出さないように意識する。ステップし終わったときに右へ流れないよう、きちんと振り切る練習を勧めたら、これにも彼は毎日、取り組んだ。
ベースの部分では自分の主張を通す一方、これは必要な練習だと思えば、徹底的にやるんです。そこを見分ける目を、20歳の鈴木一朗は持っていましたね」