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「どこの鈴木やねん」から始まって…こうして20歳の鈴木一朗は“イチロー”になった《誕生秘話》
text by
石田雄太Yuta Ishida
photograph bySankei Shimbun
posted2021/01/11 11:01
8回に逆転打を放ち、帰りのバスで仰木彬監督に祝福されるイチロー
「まだ携帯を持ってるのが特別だった時代ですから、連絡事項はホテルのドアの下にメッセージとして入れてもらっていたんです。4割に乗せた日、大阪のホテルに戻ったら、そのメッセージが何百万の札束みたいに入れられてた。全部、取材依頼ですよ。これはエラいことになったと、さすがにビビリましたね(笑)」
ヒットを打つのが当たり前
オールスターに初出場、56試合連続出塁の記録を破って69まで伸ばし、当時、新井が持っていた130試合制での184安打、藤村富美男の191安打も次々と抜き去る。そして9月20日、イチローは神戸で前人未到の200安打を達成、その後、210安打まで記録を伸ばした。新井がこう話す。
「イチローは、ヒットを打つのが当たり前という気持ちにブレがなかった。調子がいいときも悪いときも、一年を通して気持ちがブレないというのはすごいことなんです。プレイボールからゲームセットまで、試合に出るのが当たり前。オープン戦からシーズンが終わるまで、すべての打席でヒットを打ちたい。そんな選手はONくらいじゃないですか。だから、4打席目までに結果が出ても、5打席目はお役御免などということがない。こちらとしてはケガも怖いし、休ませたいのに、彼は行きたがるんです。しかもその5打席目でまたヒットを打つ(笑)。モノが違いました」
一朗とイチロー「もはや、彼は僕の一部です(笑)」
まさに、激動の一年。
この年、イチローを名乗って210本のヒットを打ったことで、鈴木一朗を取り巻く環境は一変した。今から10年前、彼はこう言っていた。
「鈴木一朗とイチローは別人です。鈴木一朗がイチローに、作品を作らせている感覚です。今までの10年は、イチローが鈴木一朗よりもだいぶ先を走ってましたから、そこに追いつけなかった。でも、ようやく追い抜いた。もはや、彼は僕の一部です(笑)」
二十歳のとき、一人の若者が二つの名前を背負った。
イチローが鈴木一朗の先を走った10年。鈴木一朗がイチローを抜き返した10年。
その二つの名前が、後に心の中でせめぎ合うようになるなんて、思いもしなかったに違いない。自分のために野球を磨くイチローと、野球のために自分を磨く鈴木一朗──ずっと競い合ってきたこの二人が、41歳になった今も、彼の中に存在している。
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