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田中恒成「これだけ必死だったのは
初の世界戦と木村さんの試合ぐらい」
posted2020/07/09 11:10
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph by
Hiroaki Yamaguchi
第1回「木村翔×田中恒成、2018年世界戦。エリートを襲った“恐怖心”と怪我。」、第2回「エリート田中恒成が打ち合いを選択。木村翔の右フックにぐらつくも──。」は記事最終ページ下にある「関連記事」からご覧ください。
2018年の年間最高試合、WBO世界フライ級タイトルマッチは、チャレンジャーの田中恒成(畑中)が王者の木村翔(青木=当時)との激戦を制し、小差判定勝ちで3階級制覇を達成した。
9月24日、名古屋市の武田テバオーシャンアリーナで拳を交えた2人のボクサーは、勝ち負けとは別に大きな財産を手に入れた。
全力を出し切って敗れた木村は記者会見を終えるとシャワーを浴び、あおなみ線の終点駅、金城ふ頭駅から電車に乗って名古屋駅に出て、そのまま新幹線に乗り換えて東京に帰った。腫れた顔を氷嚢で冷やしながら。
「普通はその日のうちに帰らないよねとか、名古屋駅までタクシーで行けばいいじゃないか、とか言われましたけど、それも青木ジムらしくていいんですよ(笑)。
あんなに顔の腫れた人が新幹線に乗っていたらビックリすると思いますけど、隣に座っていた女の人から『お疲れさまでした』と言われたのは覚えてますね。何かで見てたのかな……。うれしくもあり、恥ずかしくもありましたけど」
「自分の中ではベストを出せたと思っている」
中国の上海で五輪2大会連続金メダリストのゾウ・シミンからタイトルを奪って以来、東京、中国の青島、名古屋とアウェーの舞台を踏み続けてきた男は「自分の中ではベストを出せたと思っているのでまったく悔いはない」と清々しく言い切った。
もう少し悔しがってもいいのではないだろうか。そう問うと元チャンピオンはこう答えた。
「田中くんと試合が決まったとき、普通に見てどっちに力があるかと考えたら向こうだと思ったんです。でもやってみたらああいう試合ができた。そこらへんまで来たんだなと思えた。
僕は23歳でボクシングを本格的に始めて、5、6年しか本気でやってない。田中くんは子どものころから真剣にやってるわけじゃないですか。ゾウ・シミンもそうですけど、そういう選手にどこまでできるのか、というのはずっとあったんで。
だから田中くんには負けましたけど、ちょっと自信になったんですよ。それは素直な気持ちですね」