野球善哉BACK NUMBER
広澤克実と“PONY”の球数制限。
練習や喫煙にまで踏み込んだ新提案。
posted2019/11/30 20:00
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph by
Kyodo News
10月17日のプロ野球ドラフト会議を終えて、この1年間を振り返るように改めてドラフト雑誌をめくっていると、ある選手が目に止まった。
この秋のドラフト指名から漏れた東洋大の山田知輝外野手だ。
彼をしっかり取材したことがあるわけではないのだが、聞き覚えのある名前につい手が止まった。
山田は2014年、第86回選抜に出場した桐生第一のエースだった。2年生ながらチームを引っ張り、ベスト8に進出。2回戦の新庄戦では引き分け再試合を含め、2試合を1人で投げ抜いている。1回戦から準々決勝までの4試合で、451球を投げた。
この時の山田のことは覚えている。
圧倒的なボールで押さえ込んでいくピッチングスタイルではなかったものの、均整のとれた体格を使って綺麗なフォームで投げていた。今すぐにというより、彼が高校3年間をどう過ごし、その先でどう伸びていくのかが気になるタイプだった。
甲子園で力投した後に消えた投手たち。
記事によると、山田は大学に入って右肩の状態が芳しくなく、投手を諦めて野手に転向。そして再びドラフト候補と呼ばれる選手になったという。
おそらく今後、彼について「打者転向」で成功した逸材というストーリーが語られることはあっても、なぜ投手を諦めたかがフォーカスされることは少ないだろう。ましてや、甲子園の舞台で無茶な登板をしていたと語られる機会はほぼないと思われる。
もっとも、彼だけが特別なケースというわけではない。
これまでも数多の好投手が、山田のように甲子園の舞台で力投した後に表舞台から姿を消している。
夏の甲子園で6試合で783球を投げて春夏連覇を達成したのちに相次ぐ怪我に見舞われてプロで活躍することができなかった投手のことも、県大会での登板過多がたたって甲子園でスローボールしか投げられなくなってしまった投手のことも、多くの人は忘れてしまうのだ。