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藤田晋オーナーに独占で直撃質問。
ゼルビアとJクラブ経営、思いの丈。 

text by

郡司聡

郡司聡Satoshi Gunji

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photograph byJ.LEAGUE

posted2019/11/13 19:00

藤田晋オーナーに独占で直撃質問。ゼルビアとJクラブ経営、思いの丈。<Number Web> photograph by J.LEAGUE

2018年10月、経営参画が決まってホームスタジアムを訪れた際の1枚。藤田オーナーとゼルビアは、どのような道を歩むのか。

投資に見合う事業にするプラン。

 藤田オーナーは経営者の立場として、11億円もの金額を町田に投資している。それに対する株主に対しての説明責任もある。あらためて町田の経営に参画した意図をこう振り返っている。

「サッカークラブの経営に参画したいし、投資をしたいという個人的な思いもある。その中で、僕の立場として、町田への投資を決めた理由を説明しました。サッカークラブ経営には、多額の資金が必要なことも分かっていますし、合理的に株主や社員に説明をしようという中で、東京全体をマーケティングするのであれば説明がつくと考えました。

 もしこれが僕のポケットマネーをつぎ込むのであれば何でも良いのですが、会社のお金を投資する。だからこそ説明がつくように“プラン”を作ったんです。クラブをリブランディングして新たなスポンサーを獲得し、投資に見合う事業にしていくというプランです。

 実際にはJ1クラブからも話はありましたが、すでに出来上がっているクラブよりも、一緒に大きくなっていく過程を共有することで、町田ファン、AbemaTVの視聴者を増やしていこうというプランで出資を決めた背景がありました」

 2006年と'07年、藤田氏率いるCAは東京ヴェルディに出資したものの、わずか2年での撤退を余儀なくされた。そうした“挫折”があっただけに、藤田オーナーにとって、Jクラブへの“再挑戦”は悲願だった。

 ただし、物事は必ずしも思い描いたとおりに運ばない。その象徴が今回のチーム名改称騒動だった。

チーム名改称で甘かった見通し。

 経営参画が正式発表された後、初めて迎えたホームゲームは昨季のJ2第36節・山形戦。ゴール裏には「新たな同志と共に町田から世界へ」と記された横断幕が掲げられた。そして試合後、藤田オーナーはゴール裏の前まで出向き、サポーターに向かって挨拶した。

 前述した通り、当時の契約条項にはチーム名改称がすでに盛り込まれていた。その中で、あまりにもサポーターに歓迎されたことが、ある種の“油断”を生んだと藤田オーナーは振り返る。

「(チーム名改称について)僕の中では、結構反発が起きるだろうから、事前にサポーターへ説明すべきだと考えていました。ですが情報漏洩の問題もあって、限られた関係者にしか言えませんでした。心の中では何となく引っかかってはいましたが、放置するような形になってしまいました。

 サポーターの気持ちをもっと想像して、もっと早くコミュニケーションを取るべきだったな、と。段取りが悪かったことは否めず、誰も責めることはできない。僕が甘かったと言うしかありません」

 チーム名から「ゼルビア」がなくなることに対して、町田サポーターはもちろんのこと、他クラブのサポーターからも反発の声が強かった。サポーターへの説明が十分ではなかったことに加えて、「FC町田トウキョウ」に決めるまでのプロセスも「僕自身の認識が甘かった」と藤田オーナーは認めた。

「最初は『東京町田FC』と、東京を先に持ってきていたんです。実は契約書にはそう書いてあるのですが、サポーターの様子を見て、町田を前に出したほうが良いし、町田からビッグクラブに育てるという視点で『FC町田トウキョウ』に変えました」

【次ページ】 なぜゼルビアを削ろうとしたか。

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藤田晋
FC町田ゼルビア

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