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<エールの力2019 vol.3>
中澤佑二「相手への大声援も自分の力に」
text by
熊崎敬Takashi Kumazaki
photograph byJ.LEAGUE
posted2019/10/28 11:00
ピッチに届いた横浜サポーターの声。
「ブーイングが吹き荒れる中で優勝した、2004年中国でのアジアカップは格別でした。でもやはり忘れられないのは、同じ年に行なわれた浦和とのチャンピオンシップですね」
'04年12月11日、中澤さんと横浜F・マリノスは敵地、埼玉スタジアムに乗り込み、浦和レッズと日本一の座を争った。
横浜国際総合競技場(現 日産スタジアム)での第1戦は1-0の勝利。引き分け以上なら優勝が決まる。
「ぼくは中東や中国のアウェーも経験しましたが、日本なら浦和のアウェーがほんとうにタフでした。この試合も真っ赤に染まった埼玉スタジアムが、浦和サポーターのすさまじい叫び声に包まれていました」
地鳴りのような大声援の勢いを駆って、エメルソンや三都主、闘莉王といった面々が激しく攻め寄せてくる。
四方を敵に囲まれた横浜だが、孤立無援だったわけではない。スタンドの片隅には、少人数だが声をからして叫び続ける青い集団がいた。横浜のサポーターたちだ。
「浦和サポーターの大声援の中でも、彼らの歌声は届いていました。嬉しかったですよ。戦っているのはぼくたち選手だけじゃないんだ、と思えましたから。ぼくはそんな彼らに試合後、胸を張って横浜に帰ってほしかった。マリノスが負けたら、浦和のサポーターが大騒ぎする中、帰らなきゃいけないじゃないですか。チームのために埼玉スタジアムに駆けつけてくれたファン・サポーターたちに、そんなつらい思いはさせたくなかった」
横浜は終盤、手痛い同点弾を浴びたものの、中澤さんと仲間たちは懸命に耐え凌ぎ、運命のPK戦を制した。
真っ赤に染まった埼スタは静まり返り、横浜サポーターたちが喜色満面で飛び跳ねている。このときの光景を、誇らしい気持ちを中澤さんは忘れていない。それはサポーターたちも同じだろう。
敵の歓声に鍛えられ、味方の歓声を糧にアジア屈指のセンターバックになった中澤さん。彼にとって、埼スタでのチャンピオンシップは20年に及ぶキャリアの最高傑作なのだ。
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