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武豊が'19年開幕週6勝と絶好調。
天才騎手の技術は今も衰え知らず。 

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平松さとし

平松さとしSatoshi Hiramatsu

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photograph bySatoshi Hiramatsu

posted2019/01/11 16:30

武豊が'19年開幕週6勝と絶好調。天才騎手の技術は今も衰え知らず。<Number Web> photograph by Satoshi Hiramatsu

中山競馬場で開幕を迎え、今年初勝利を挙げた武豊騎手とジャスパープリンス。

記録づくめの“平成の盾男”。

 その後の活躍も枚挙にいとまがない。天皇賞はイナリワン(1989年春)やスーパークリーク(1989年秋、1990年春)、メジロマックイーン(1991、1992年春)にエアグルーヴ(1997年秋)、スペシャルウィーク(1999年春秋)などで制し、ついたニックネームは“平成の盾男”。

 先出のスペシャルウィークで1998年に自身初となる日本ダービー制覇を飾ると、その後、アドマイヤベガ(1999年)で連覇を達成したのを始めタニノギムレット(2002年)、ディープインパクト(2005年)、キズナ(2013年)で最多勝記録となる日本ダービー5勝を記録してみせた。

 また、ディープインパクトとのコンビでは他に皐月賞、菊花賞(いずれも2005年)を優勝し、3冠ジョッキーとなった後、先述の天皇賞の他に宝塚記念、ジャパンC、有馬記念(いずれも2006年)を制覇してみせた。

雲行きが変わった2010年。

 もちろん、制したのは大レースばかりではない。リーディングジョッキーになったのは1992年からの9年連続、2002年からの7年連続など、計18回に及び、2003年にはJRA史上初となる年間200勝超えの204勝。翌2004年には211、更に翌2005年には212勝と毎年記録を更新。212勝という数字は昨年C・ルメール騎手に更新されるまで、長らく燦然たる記録として輝いていた。

 その活躍は日本国内だけにとどまらず、海外でもJRA所属の日本人騎手最多となるGI勝利数、通算勝利数など、次々と記録を更新してみせた。

 そんなジョッキー界の絶対王者の、雲行きが変わったのが2010年の事だった。

 3月の最終週。例年ならドバイへ行く時期だが、この年に限ってお手馬の遠征がなかった。一方、藤田伸二騎手(当時)はドバイへ遠征。そのため彼のお手馬で重賞に出走した武豊騎手だが、不運な事にその馬がレース中に故障を発症。馬場に投げ出された天才騎手は右手関節亀裂骨折や頭部打撲、腰部打撲など、デビュー後、初めてと言ってよい大怪我を負ってしまった。

 これにより長期間、戦列を離脱せざるをえなくなった彼は、患部の可動域が通常通りに戻るまで時間を要したこともあり、以前のように勝てなくなった。

【次ページ】 技術、年齢的な衰えはない。

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