“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
1クラブで長く背番号10を着ける男。
宮澤裕樹は札幌と北海道の顔だ。
posted2018/09/23 09:00
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takahito Ando
サッカーにおける10番はマラドーナやメッシに代表されるように、「花形の番号」であり、チームのエースが背負う特別なものである。
最近は昔ほど10番を神格化しなくなっているが、それでも特別な意味を持つ番号であることは間違いない。背番号10は常に目立ち、試合を決定づける仕事をこなす。こうしたイメージを持っている人は少なくないだろう。
「やっぱり10番はチームの中心にいて、誰の目から見ても認められる選手だったり、プレーで観衆を沸かせられる選手というイメージが強い」
北海道コンサドーレ札幌の10番を背負うMF宮澤裕樹も、その1人だ。宮澤は北海道伊達市生まれで、室蘭大谷(現・北海道大谷室蘭)高から2008年に札幌に入団。2010年から10番を託されると、そこから9年間もつけ続けている。
「でも、僕はそんなタイプじゃないのに、10番らしくならないといけないと思いすぎていたんです」
つい最近まで“10番”の呪縛にもがき、長きに渡って苦悩の時間を過ごしていたのだという。
「10番らしくならなきゃ」
「最初に10番を頂いたときから、『俺がつけていいのかな』と思っていました。最初の1、2年はとにかく気にしないように、ガムシャラにやっていたのですが、徐々に“もっと10番らしくならなきゃ”と思うようになったんです。
……何て言うんですかね、周りが思うような“10番像”に自分が応えたいという気持ちだった。でも、根本的に自分はそういうタイプじゃないという葛藤はずっとありました。その度に『自分がつけていていいのか』と思っていた」
室蘭大谷時代、宮澤は「華のある選手」だった。1年時からFWとしてレギュラーを獲得し、エースストライカーとして君臨。高2の選手権ではベスト16進出の原動力となり、「北海の爆撃機」の異名が知れ渡り、世代別代表にも招集されるほどの選手となった。
高3ではキャプテンに就任。もともとクールで、ピッチ上でも優雅な雰囲気を漂わせていたが、左腕に赤いキャプテンマークを巻き、さらなる風格を醸し出していた。そしてアクロバティックなゴールを何度も決めるなど、まさに「花形の10番」だった。