Date of DATE 伊達公子の日
Date of DATE 伊達公子の日
第2の伊達公子は
いかにして生まれたのか?
“復活”ではなく、“チャレンジ”と位置づけた37歳での現役復帰から9年半にわたる「伊達公子セカンドキャリア」の日々と、ファーストキャリアとの心情やテニスへの向き合い方の変化を綴る。
11年半のブランクを経て2度目の現役復帰を決めた最大のきっかけとは? 若手に刺激を与えるつもりが、いきなり全日本テニス選手権で優勝。40代でのツアー転戦の日々や、世界各国の美味しい料理との出会い。世界ランク4位の第1期現役時代はあれほど嫌いだったテニスが、なぜ好きになったのか?
さらに、不妊治療、16年間苦楽を共にした夫ミハエル・クルムとの離婚、人生初の手術、2度目の引退までを多層的に描いた決定版!
目次
Ⅰ
SECOND BIRTH2008.3.10
第2の伊達公子が生まれた日
Ⅱ
ALWAYS SMILE2008-2017
セカンドキャリア
- INTERVIEW 1「わたしとテニスと日本と」
- INTERVIEW 2「2度目の引退を考えた」
- INTERVIEW 3「なぜわたしは、それでも現役を続けるのか」
- INTERVIEW 4「やることをやってきた人生だから」
- INTERVIEW 5「やり残したことはもうないけれど」
- INTERVIEW 6「未練は……あるかな」
Ⅲ
REAL RETIREMENT2017.9.12
現役最後の日
プロフィール
伊達公子だて・きみこ
1970年9月28日、京都府生まれ。園田学園高校卒業と同時にプロテニスプレイヤーに転向。1995年には日本人史上最高のWTAランキング4位に。1996年フェド杯では当時世界1位のシュティフィ・グラフを撃破。同年のウィンブルドン準決勝では再びグラフと対戦し2日間にわたる激戦の末に、グランドスラム初の決勝はならず。1996年11月、世界ランク9位のまま引退した。2008年、37歳で11年半ぶりの現役復帰。同年の全日本選手権でシングルス・ダブルスともに制覇。2009年の韓国オープンではWTAツアー史上歴代2番目の年長記録(38歳11カ月)で優勝。2013年ウィンブルドンでは同大会史上最年長の42歳で3回戦進出。2016年、左膝半月板の手術を2度にわたって行ない1年のリハビリを経て2017年に復帰。同年9月、ジャパンウイメンズオープンを最後に2度目の引退をした。
金子達仁かねこ・たつひと
1966年1月26日、神奈川県生まれ。法政大学社会学部卒業後、テニス専門誌、サッカー専門誌編集部記者を経て、1995年に独立。1996年、「Sports Graphic Number」に掲載された「断層」「叫び」で、ミズノスポーツライター賞を受賞した。著作に『28年目のハーフタイム』『決戦前夜』『熱病フットボール』『ターニングポイント』『泣き虫』『ラスト・ワン』など。近著に髙田延彦とヒクソン・グレイシーの世紀の一戦の真実を20年の時を経て描いた『プライド』がある。