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オグリキャップとホーリックス。
ジャパンカップ「2.22.2」の伝説。
posted2017/11/26 08:00
text by
江面弘也Koya Ezura
photograph by
JRA
急性白血病のため、81歳でお亡くなりになりました。
その1カ月前の9月30日、Number937号「秋競馬特集」で、
オグリとホーリックスの「世紀の1戦」となった'89年の
ジャパンカップについて聴くために
私たち取材班は瀬戸口氏のご自宅を訪れました。
オグリのほかにもネオユニヴァース、メイショウサムソンを育てた名伯楽。
ご冥福をお祈りいたします。
ジャパンカップを前に、瀬戸口氏への取材をもとに
当時の「世紀の1戦」を完全再現した
Number937号「秋競馬最速最強レコード伝説」の記事を転載いたします。
薄暗い馬房の奥に灰色の馬体が溶け込んでいる。馬はじっとして立ったまま動かない。眠っているようにも見える。
「さすがに疲れてるな」
厩舎の前に集まっていた取材陣に聞こえるように、著名な競馬評論家が言う。「オグリは厳しいな」とも付け加えて。
「違う」と馬房にレンズを向けていたカメラマンが反論するように囁いた。
「オグリは燃えているよ。大丈夫だ」
わたしは頷く。これほど静かなオグリキャップを見るのは初めてだったが、カメラマンの感性を信じたかった。
'89年ジャパンカップの公開調教がおこなわれた東京競馬場でのことだ。4日前に京都競馬場のマイルチャンピオンシップに出たオグリキャップは、バンブーメモリーとの競り合いに勝利していた。そのまま馬運車に乗って東京に移動し、3日後にはジャパンカップに参戦する。この日の朝の調教は軽い調整ですませていた。
バブル経済を具現化したような芦毛のヒーロー。
もう28年も前のことだが、「オグリキャップのジャパンカップ」で思い出したのはあの光景だった。それを瀬戸口勉に話した。調教師を定年引退して11年、この秋81歳になる瀬戸口は「そう、そう」と言った。
「オグリは無駄な動きをしなかった。いろいろ言われたけど、あのときは調子は良かったと思うよ」
'89年の秋はオグリキャップの生涯でもっとも華やかで輝いていたシーズンだった。3人めの馬主に代わった直後に故障し、春シーズンを棒に振ったこともあり、3カ月余で6戦するローテーションを強いられた。人の思惑に翻弄されながら一戦一戦懸命に走り、スーパークリーク、イナリワンとともに「三強」と呼ばれ、メジロアルダン、バンブーメモリーと名勝負を演じた。バブル経済を具現化したような芦毛のヒーローにわたしたちは魅了され、応援した。