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中国杯で天才ボーヤン・ジンが世界初!
4回転ルッツ+3回転トウループの衝撃。 

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田村明子

田村明子Akiko Tamura

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photograph byShingo Ito/AFLO SPORT

posted2015/11/10 11:00

中国杯で天才ボーヤン・ジンが世界初!4回転ルッツ+3回転トウループの衝撃。<Number Web> photograph by Shingo Ito/AFLO SPORT

中国杯のメダリストたち。左から銀のボーヤン・ジン、金のハビエル・フェルナンデス、銅のハン・ヤン。

“武器としての4回転”が誕生した経緯。

 この4年後の1992年アルベールビルオリンピックでは、ロシアのアレクセイ・ウルマノフがフリーで4回転トウループを降りた。軽く片手をついたので正式に承認されていないが、実は彼は後半で4回転サルコウも予定していた。実際には回避して3サルコウ+2ループのコンビネーションにしたのだが、フリーで2種類の4回転を入れる試みは、すでに20年以上前から始まっていたのである。

 ウルマノフはこの大会で総合5位。だが2年後のリレハンメルオリンピックでは、4回転なしで金メダルを獲得した。

 4回転が試合での勝敗を分けるようになった経緯は、カナダのエルビス・ストイコという天才ジャンパーの存在を無視しては語れない。

 武道家でもあったストイコは並外れた体幹の強さで、1991年世界選手権で史上初の4トウループ+2トウループのコンビネーション、1997年のGPファイナルでは史上初の4+3トウループコンビネーションを成功させた。

 安定した4回転ジャンパーであったストイコが1994年世界選手権で優勝したとき、ほかのスケーターたちも勝つために4回転を練習せざるを得なくなったのだ。

4回転を跳んだ初のオリンピックチャンピオン。

 1998年の長野オリンピックは、まさに4回転の戦いとなった。

 ロシアのイリヤ・クーリックがフリーで4回転を成功させた初のオリンピック金メダリストになり、皮肉なことに「4回転王」と呼ばれていたストイコは怪我で4回転を回避し、2位に終わった。この怪我の原因は、彼が5回転を練習していたためと噂が流れていたが、未確認のままである。

 長野オリンピック終了後、ISUはルールを改正してSPで4回転を跳ぶことが許可され、多くのトップ選手がSPから4回転を組み込むようになった。

 日本人選手で初めて公式試合で4回転を成功させたのは本田武史で、1998年世界選手権予選でのことである。2003年四大陸選手権で彼は、フリーで3回の4回転を成功させた。

【次ページ】 ではトウループ以外の4回転はどうなのか?

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