JリーグPRESSBACK NUMBER

21世紀の浦和にはいつも啓太がいた。
退団の理由、そして残して行くもの。 

text by

轡田哲朗

轡田哲朗Tetsuro Kutsuwada

PROFILE

photograph byJ.LEAGUE PHOTOS

posted2015/11/05 10:50

21世紀の浦和にはいつも啓太がいた。退団の理由、そして残して行くもの。<Number Web> photograph by J.LEAGUE PHOTOS

浦和レッズで数々の栄光と挫折を経験してきた鈴木啓太。その熱はクラブに残り続ける。

阿部、那須という同い年との阿吽の呼吸。

 1981年生まれの啓太には、同世代の盟友がいる。「お互いに通じ合える心強い仲間」と語る、キャプテンを務める阿部勇樹と、一昨シーズンから加入した那須大亮の2人だ。

 阿部はジェフユナイテッド市原(当時)、那須は横浜F・マリノスでデビューしたが、同世代のトップランナーとしてライバルであり、共に戦う仲間としてこれまでやってきた。それだけに、啓太の決断を聞いた2人は「寂しいというのが正直なところ」と声をそろえた。

 那須は、「啓太はレッズの顔。人格者だから、周りに与える影響も大きい。僕が思うまでもなく、本人が色々と考えていると思うけど、ずっと一緒にやってきた仲間。一人の人間としてこれからも付き合いは続いていく」と、全ての決断を受け入れた上で絆は変わらないと語った。那須が浦和に加入して以来、2人組のトレーニングでは自然とコンビができていた。

2人に共通する「啓太の決断を尊重」する思い。

 阿部は'07年に加入した後、海外移籍を経て'12年に浦和に戻ってきた。「啓太とはコーチングがなくても、ポジションを見てお互いに判断ができる。お互いに上がれるし、守備もできるし、そうやってずっとやってきた。熱い男というのはずっと変わらない。レッズから出る前も、帰ってきてからもずっとそうやって一緒にやってきた」と、途中のブランクも関係なく、阿吽の呼吸でプレーできる存在だと語った。

 だからこそ、彼らの共通する思いは「啓太の決断を尊重したいし、いい形で送り出したい」という言葉。'13年からの3年間、'81年生まれのトリオが見せてきた最高に息の合ったビルドアップは、浦和の長い歴史の中でも輝かしい記憶として残るはずだ。

 監督が代わり、求められる役割やプレースタイルが変化していく中でも、トレーニングに取り組む姿勢は不変だった。啓太の真骨頂は、ボールを使わないメニュー。つまり、直感的にはサッカーのトレーニングに見えないようなメニューにこそ現れる。

【次ページ】 「自分の才能は、そこしかない」とは?

BACK 1 2 3 4 NEXT
浦和レッズ
鈴木啓太
阿部勇樹
那須大亮

Jリーグの前後の記事

ページトップ