One story of the fieldBACK NUMBER
藤浪晋太郎が「エース」になった日。
鶴岡の一言に滲んだチームの空気。
posted2015/09/11 11:30
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
NIKKAN SPORTS
列島に近づく台風の影響により、セ・リーグ今年最初の天王山は2試合になった。
阪神巨人、9月半ばの3連戦。結果的には死闘の末、ともに1勝ずつを分け合った。
10年ぶりのリーグ制覇を目指す虎の立場から言えば、王者巨人を蹴落とすことができなかった上に、猛烈な勢いで迫っていたヤクルトに並ばれた。
「いけるところまでいったが……」
9月10日の第2戦。終盤の猛攻で追い上げながらも、あと1点が届かずに敗れた和田監督の表情は強張っていた。阪神にとって最高の結果でないことは明らかだった。
ただ、振り返ってみれば、昨年はこの9月の3連戦に全敗して力尽きた。一昨年は8月末に終戦を迎えていた。それが、今年は天王山を終えて、なお、首位にいる。
そして何よりも、この天王山でチームは大きなものを手に入れた。大混戦の修羅場を戦い抜くために絶対に必要なものを――。
藤浪が仕掛けたバント、併殺阻止のスライディング。
9月9日、巨人との第1戦は藤浪が本当の意味で阪神のエースになった夜だった。
チームがまだ1勝もできていない、巨人マイコラスとの投げ合い。負けてはならない試合で、藤浪は圧倒的な闘志でチームの先頭に立った。
3回1死二塁、初めて打席に立つと、初球にセーフティバントを試みた。フィールディングが苦手な助っ人右腕を揺さぶりにかかった。
その後、変化球を左前に運んでチャンスを拡大すると、続く鳥谷の二ゴロでは猛然と遊撃手坂本に併殺阻止のスライディングを仕掛けた。長い手を目いっぱい広げて、滑り込んだ。この併殺崩れが先制点を生んだ。
3年目、21歳の若者が誰よりも気持ちを表に出していた。一連のプレーは一投手の範疇を超えていた。勝敗を背負って戦う者のプレーだった。