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高橋大輔のフィギュア人生とは?
取材ノートに刻まれた10年間の言葉。 

text by

野口美惠

野口美惠Yoshie Noguchi

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photograph byAsami Enomoto/JMPA

posted2014/10/23 10:30

高橋大輔のフィギュア人生とは?取材ノートに刻まれた10年間の言葉。<Number Web> photograph by Asami Enomoto/JMPA

今年2月、ソチ五輪でフリープログラム「ビートルズメドレー」を踊る高橋大輔。これが公式戦での最後の演技となった。

「過去の自分に負けてはダメ」

 無我夢中で迎えた'10年のバンクーバー五輪は、4回転ジャンプで転倒した以外は最高の演技で日本男子初となる銅メダルを手にした。優勝した選手が4回転を回避していたことから、記者会見で「ダイスケも回避すれば優勝できたのでは?」と聞かれる場面があった。

「4回転ジャンプは、怪我をする前は出来ました。だから過去の自分に負けてはダメ。アスリートとして理想を追求した結果なので、挑戦した事も、転倒した事も後悔していません。“日本男子初”の五輪メダルを獲れたことを誇りにしたい」

 続いて、3月の世界選手権では日本男子初となる優勝を飾った。

「スポーツって、目標を達成できなくても、試合の時の究極の緊張感や集中を体験するプロセスが次の人生に生きると思う。僕も、何事にも怖がらずに前に進めるようになりました。こうやって真剣に取り組めるモノに出会えた事が幸せです」

 この時24歳。日ごとに大人びていく高橋が、そこにいた。

「そんなに完璧主義にならなくていい」

 スケーター人生の一区切りとなるはずだった'11年3月の東京開催となる世界選手権は、東日本大震災の影響で中止。4月末にモスクワで代替開催となると、履き古したスケート靴が演技中に壊れ、5位に。試合後、高橋は「ソチ五輪までの現役続行」を宣言する。

 ソチまであと3年。まずはフランスのアイスダンスチームのもとで滑りを基礎から磨き、さらに本田武史コーチのもと4回転ジャンプのフォーム改造にも着手した。何より変わったのは、練習に対する気持ちだった。

「これまでは毎年成績を出そうとしていた。でもそんなに完璧主義にならなくていい。結果的に強くなることが重要だと分かった。以前なら、調子が悪い日は『練習する意味なんてゼロ』と思ってやる気が出なかったけれど、今は、『調子が30%の日は、30%の成果で良い』と考えている。淡々と日々を過ごしたら、もっと充実した練習が出来るようになりました」

 ポジティブなアプローチが功を奏し、'12年3月の世界選手権で4回転を成功させての銀メダルを獲ると、闘志溢れる表情でこう話した。

「自分はまだまだ成長できるんだ、というのが分かった。最近の若い子達はみんなショートで4回転を跳ぶし、僕も“自分との戦い”なんて言っていられない。ライバルは全員です」

【次ページ】 「残り2年で自分がどれだけ変化できるか」

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高橋大輔
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