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高橋大輔のフィギュア人生とは?
取材ノートに刻まれた10年間の言葉。 

text by

野口美惠

野口美惠Yoshie Noguchi

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photograph byAsami Enomoto/JMPA

posted2014/10/23 10:30

高橋大輔のフィギュア人生とは?取材ノートに刻まれた10年間の言葉。<Number Web> photograph by Asami Enomoto/JMPA

今年2月、ソチ五輪でフリープログラム「ビートルズメドレー」を踊る高橋大輔。これが公式戦での最後の演技となった。

「残り2年で自分がどれだけ変化できるか」

 翌'12-'13シーズンは再びニコライ・モロゾフとタッグを組み、新しい刺激を求めた。

「ニコライと離れた4年で、僕は自分というものを確立できた。だからこそ、彼ともう一度組める。今の僕は、五輪で金を獲ることが目標じゃない。残り2年で自分がどれだけ変化できるかが、僕にとっての『やりきる』ということ。『そこそこ良い感じ』で終わらせたくない」

 '12年12月、グランプリファイナル7度目の参加で、羽生結弦やパトリック・チャンを抑えて初優勝を飾る。一方、3カ月後の世界選手権はライバルの存在が気になり、総合6位に沈んだ。

「怪我をして、五輪のメダルを獲って、現役続行を迷って決めて、今の自分がある。人生に無駄なことはない」

 そしていよいよ、3度目の五輪、ソチを目指した'13-'14シーズンが始まった。このシーズンは、再発した右膝の痛みを隠し、誤魔化しながらの戦いとなった。11月のNHK杯では、痛みは誰にも打ち明けないまま、集中力で4回転ジャンプを成功させて優勝。しかし12月のグランプリファイナルは欠場、全日本選手権はまさかの5位。五輪代表に選ばれはしたが、気持ちは複雑だった。

「自分にとっては最高のソチでした」

 そして怪我が回復しないままロシアへ向かう。公式練習では4回転ジャンプは回転不足ばかりで、誰の目にもコンディションは悪かった。

 それでも高橋は攻めた。ショート、フリーともに4回転に挑戦し、なんとか転倒はこらえる。望んできた内容ではなかったが、演技を終えた瞬間、すっきりとした笑顔を見せた。感情をこめた滑りはまさに集大成。総合6位だった。

「これが僕の実力です。4回転は、自分としては外せない部分だったので最後まで希望を捨てずに行きました。演技が終わったときは、もう受け入れるしかなかったです。最後まで諦めずにやれたので、笑顔になったのかなと思います。楽しかったり辛かったり色々な思いがあったソチでしたが、自分にとっては最高のソチでした」

 その後、高橋は3月の世界選手権を欠場。10月14日に引退を宣言し、ファンにむけてこうコメントした。

「ジェットコースターのような僕の競技人生にお付き合い頂き、いつでも温かく見守ってくださり、挑戦し続ける強さを与えてくれて、本当に感謝しています」

 人間が成長する苦しさと喜びを、自らの人生で体現した10年だった。

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