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高橋大輔のフィギュア人生とは?
取材ノートに刻まれた10年間の言葉。
posted2014/10/23 10:30
text by
野口美惠Yoshie Noguchi
photograph by
Asami Enomoto/JMPA
10月14日、28歳での現役引退を宣言した高橋大輔。3度の五輪に出場してきた彼の歴史は、日本男子フィギュアの歴史に他ならない。その軌跡を10年間の取材ノートと共に、もう一度追い掛けてみたい。
高橋を取材したノートは'05年春から始まる。日本スケート連盟関係者からヒアリングしたメモには、「才能があるが、本番に弱い『ガラスのハート』」と記されている。'05年3月の世界選手権ではミスが相次ぎ、15位。'06年トリノ五輪の出場枠を「1」しか獲得出来なかったことも理由のひとつだろう。
高橋の最大の幸運は、コーチの長光歌子に出会えたことだ。「何があっても私は最後まで大輔を見守る」と覚悟を決めた彼女は母親代わりとなり、'05年夏からは2人でアメリカへ。熱血漢のロシア人、ニコライ・モロゾフの指導のもと、何にも自信が持てなかった19歳の青年は、情熱的なステップを手に入れた。
「僕は満足していない!」
迎えた'05-'06シーズン、高橋はグランプリファイナルで3位と大きな成長を見せた。歓喜する高橋に、モロゾフは「満足しているのか?」と尋ね、「もちろん」と答える高橋を、「世界トップを目指せるのに、こんな順位で満足するな」と叱咤した。モロゾフに言わせると、これは「脳の手術」。自己を低く評価する高橋を、鼓舞したのだ。
しかし高橋は'06年トリノ五輪を前に「8位入賞が目標」と宣言。優勝やメダル獲得など、自分に重圧をかける言葉は口に出来なかった。8位と目標は達成したものの、荒川静香が金メダルを獲得し、選手村でそのメダルを首から掛けてもらって自分の甘さを痛感した。
「僕は満足していない! ただ緊張して興奮していたけれど、荒川さんは落ち着いて自然体で、心から五輪を楽しんでいた。次のバンクーバーでは、僕もあんな風に五輪を過ごして、そしてメダルを獲りたい」