野球善哉BACK NUMBER
初日は3チームすべてが完投で勝利。
「絶対エースvs.複数投手」の行方。
posted2014/08/14 10:50
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph by
Kyodo News
「完封したかったので、行かせてくださいといいました」
大会初日の第2試合の坂出商戦で、今大会、完封一番乗りの好投を見せた敦賀気比の2年生エース・平沼翔太は16-0という試合展開ながらも、続投を志願した理由をそう説明した。
エースはマウンドに立ち続けるもの――。
そうした理想が、高校野球の世界に存在することを再確認した言葉だった。
今大会、ひそかに注目していることがある。それは「絶対的エースvs.複数投手制」の行方だ。
というのも、東西の横綱・東海大相模、大阪桐蔭をはじめ、多くの甲子園常連校が、地区予選を複数投手で勝ち抜いてきているからだ。絶対的なエースが完投・連投するよりも、複数投手上位の大会となり得るのではないか、とさえ感じる。
「エースはマウンドに立ち続ける」という根強い発想。
もともと、日本の高校野球は、エースはマウンドに立ち続けるものという発想が強い。しかし'91年の大会で、沖縄水産の大野倫投手が疲労骨折を隠しながら、決勝戦を戦ったあたりから、時代は変わり始めた。
日本高校野球連盟は'93年に複数投手制を推進し、けが予防のためのひじの検査を実施。そのことで、何がなんでもエースを登板させるという流れに変化が現れたのである。
その象徴となった最初のチームが、'93年に全国制覇を果たした育英だった。
育英は、松本、酒谷、井上の3人の投手を対戦相手によって起用。3人がまんべんなく登板し、三本の矢で全国の頂点に立ったのだった。
その後にも、'96年の松山商、'97年、'00年の智弁和歌山、'03年の常総学院、'04、'05年の駒大苫小牧、'07年の佐賀北など、エースが完投しなくても、大会を制覇できることを証明した。
優勝したという結果だけで複数投手制を肯定できるわけではないが、高校野球がかすかな変化を求めたきっかけのひとつであろうと筆者は感じている。