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ブラジルW杯は“10番”復権の大会に?
ヤヤ・トゥーレが示した新スタイル。
posted2014/06/18 10:30
text by
田邊雅之Masayuki Tanabe
photograph by
Getty Images
クラブチームが競い合う大会に比べて、W杯は戦術の革新性に乏しいと言われる。代表チームは寄せ集めの集団になるし、合同練習の時間も限られている。しかもトーナメントでは、何にも増して結果が重視されるため、カウンターベースの保守的な戦い方が主流にならざるを得ない。
しかしサッカー界の大きなうねりは、W杯にもある程度反映される。わかりやすい例の一つが「10番」の変遷だ。
ゴール前で華麗なパスを操って決定的なチャンスをお膳立てしつつ、自身も高い得点能力を持つ選手。おそらくこんな風に定義できると思うが、10番はピッチ上の花形選手になっていた。ジーコやプラティニ等が活躍していた1980年代は、10番の全盛期だったと言っていい。
潮目が変わり始めたのは、1990年のイタリア大会。西ドイツ代表として、同大会で優勝を収めたリトバルスキーは、次のように証言している。
「1対1の勝負が試合を左右するのではなく、『チーム』が主役を務める時代が訪れた。それはスーパースターの時代が終わったことを意味する」
この流れが次の段階に進んだのが2002年だった。大会直前の親善試合で怪我を負わされたジダンは、本番の試合ではさらにスペースと時間も奪われて檜舞台から姿を消す。たしかに彼は4年後のドイツ大会で存在感を示すが、10番の復権を果たしたというよりも、絶滅危惧種の最後の輝きといった趣が強かった。
中盤の底に降りた10番と、偽の9番。
結果、チャンスメイクの役割は、中盤の深い位置に控えたMFが担うようになる。象徴的なのはセスクだ。2003年にアーセナルに移籍したセスクは、ビルドアップはもとより、チャンスメイクにおいてもかつての10番顔負けの貢献をし始める。
同時にピッチの前方では、攻撃陣のシームレス化が進んだ。ASローマではトッティが急造のCFとして起用される。バルセロナではCFそのものが姿を消し、ウイングやミッドフィルダー、挙げ句は右サイドバックまでが偽の9番のポジションに入った。
ただしサッカーの進化は、新たな10番タイプを、ピッチの前方で再び蘇らせる。かつての10番との違いは、ユーティリティーの高さと運動量(機動力)、そしてアイディア。メッシやロナウドは、かなり慎重に扱わなければならない。彼らは10番としても超一流のプレーができるとは言え、あえてアタッカーと呼んだ方が適切な気もする。
個人的にはシルバが好きだが、ゲッツェにも魅力を感じる。ロナウドの矢のような速さや、足にボールがぴたりと吸い付くメッシのドリブルこそ持っていないものの、軽やかなボールタッチと視野の広さは見ているだけで心が躍る。彼もまた新世代の旗手の一人だ。