オリンピックへの道BACK NUMBER
“引退の危機”から一転ロンドンへ。
バドミントン潮田を突き動かすもの。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAP/AFLO
posted2012/07/02 10:30
ロンドン五輪代表にミックスダブルスで出場する潮田玲子(手前)、池田信太郎(奥)ペア。潮田は、代表発表後に行われた記者会見で「年齢的にも五輪はロンドンが最後だと思う。集大成として臨む」と意気込みを語っている。
長く競技生活を続けるにあたって、どうモチベーションを保ち続けるか。
程度の差はあっても、アスリートが一度は直面する問題である。特にオリンピックという最大の目標へと突き進み、大舞台を終えた後が難しい。進路をどう定めればよいのか、何を目標にすればいいのか、そういった迷いが生じることは珍しいことではない。
だからオリンピックでは、大会直後から休養に入るアスリートがいれば、大会そのものを引退の場にしてしまうアスリートがいる。
バドミントンの潮田玲子も、4年前の北京五輪後、一度は進むべき道を見失った。それでもまた、見出してロンドン五輪代表へとたどり着いた。
彼女の場合、何がモチベーションを取り戻すきっかけとなったのか。
オグシオのペア解散は競技への温度差が原因だった。
潮田は、2008年に小椋久美子とのペアで北京五輪に出場した。大会をベスト8で終えた潮田と小椋だったが、次のオリンピックを目指すことなく、その年の11月にペアを解消する。
原因はモチベーションの差だった。
北京五輪を終えるとすぐさま「ロンドンを目指したい」と公言した小椋に対し、潮田はロンドンまでの4年間、やり続ける自信が持てなかった。その食い違いから、ペアを解消せざるを得なかったのだ。
競技を続けるか否か。
そんな潮田が意欲を取り戻したのは、年明け、日本バドミントン協会幹部からのある提案があったことがきっかけだった。
ミックスダブルスへの挑戦が潮田の意欲に火をつけた。
「ミックスダブルスをやってみないか」
その言葉に心を動かされると、2009年4月には高校の先輩でもある池田信太郎とペアを結成。ミックスダブルスで競技活動を再開した。
このとき潮田は協会の提案のどこに惹かれたのか。
実は協会には、日本で普及も強化も進んでいないミックスダブルスを広めたいという意図もあったという。
それを聞いたとき、潮田はこう思ったという。
「もう一度新たなことに挑戦できる」
立ち遅れているミックスダブルスの先駆者として、あとに続く選手たちの道筋をつけるため、つまりは、チャレンジする対象をみつけることができたのが、前へ進む力となったのだ。