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“物語”を生みだすチームが勝つ!?
<'09年夏の甲子園プレビュー> 

text by

中村計

中村計Kei Nakamura

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photograph byNIKKAN SPORTS

posted2009/08/07 11:30

“物語”を生みだすチームが勝つ!? <'09年夏の甲子園プレビュー><Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

 夏の甲子園で優勝するための条件。

 ここ数年の傾向をみる限り、それは世論だ。言い方を変えれば、物語を持っていること。物語をつくりやすければつくりやすいチームほどファンは感情移入しやすくなり、甲子園のあの大声援をバックにつけることができる。

 その最たる例が、'04年、'05年と連覇を果たした北のチャレンジャー、駒大苫小牧だった。

 数年前まで、北海道のチームが優勝する日がくることなど考えられなかった。最北の都道府県というだけで物語は十分だった。

物語性の高さを競い合うことでスターチームが生まれる。

 甲子園における駒大苫小牧への応援はすさまじく、当時監督を務めていた香田誉士史は「3点、4点ぐらいじゃ、負けている感じがしない」と話していたものだ。

 一方で、対戦したある投手は「勝っていてもリードしている感じがしない。9割方、向こうの応援ですからね」と苦々しげに振り返る。

 そんな駒大苫小牧を物語で初めて上回ったのが'06年、斎藤佑樹を擁して10年ぶりに甲子園に帰ってきた伝統校、早実だった。

 西東京大会の直前、当時ソフトバンクの監督だったOBの王貞治が胃の摘出手術のために入院するというニュースもあり、早実に風が吹きそうな下地はすでにあった。その上に、「ハンカチ王子」こと、斎藤というスーパースターが出現し、物語は一層強固なものとなった。

 決勝戦の1試合目こそ、早実と駒大苫小牧の応援は五分五分だったが、再試合になったときは完全に早実の流れになっていた。香田も「甲子園にきて初めてアウェーを感じた」と回想する。

「公立の進学校」という物語で勢いに乗った佐賀北。

 '07年の主役は佐賀北だった。

 直前に私学の特待生問題が取り沙汰され、世間の私学を見る目が厳しくなっていた。そのため「公立の進学校」という看板が力を持った。また、'94年に佐賀商が県勢として初めて優勝したときと同じく、佐賀北も開幕戦に登場したという事実も、ささやかではあるが物語に彩りを加えていた。

 決勝戦は広島の強豪、広陵だった。下馬評では広陵が圧倒的に有利だったが、際どいコースをボールにされるなど「疑惑の判定」もあり、5-4で逆転勝ち。

 しかしそんな大逆転劇も、佐賀北を応援する球場の雰囲気がアシストをした結果とも言えた。甲子園では、そういった要素も含め、そのチームの実力なのだ。

【次ページ】 圧倒的なパワーで物語性をねじ伏せてしまった大阪桐蔭。

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