博多の人・王貞治BACK NUMBER
「来年も開幕頼むぞ」「僕、手術していますけど?」ダイエー王貞治が“強運の投手”西村龍次にかけたまさかの名言「開幕投手には『格』がいるんだ!」
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph bySankei Shimbun
posted2026/09/29 11:08
2000年には開幕の1試合しか投げられなかった西村だが、2001年も開幕投手を託された
開幕投手は務めたものの
話を、2001年の西村に戻そう。
3年連続の開幕投手を務めた3月24日、オリックス相手に6回途中まで3失点。白星は呼び込めなかった。その後、4月14日のオリックス戦に先発しながら2回4失点で降板すると、その後は1軍での登板はできなかった。
復活を期し、秋には若手中心のコスモス・リーグ(当時)でも投げた。その頃には、前述したキャンプ中に感じていたという“投球時のギャップ”も「シーズン中のときよりは、徐々になくなってはきていた」。しかし10月19日、西村は無情にも戦力外通告を受けた。
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翌20日のサンケイスポーツ、つまり当時の私の書いた原稿につけられた見出しは、言い得て妙だが、皮肉が過ぎる感も否めない。
「“必V神話”崩れ役目終る 西村戦力外」——。
それでも、通算75勝の実績、かつての球威は衰えても、そのテクニックは健在だ。コスモス・リーグでも投げていた。だから、中日をはじめとした複数球団から声が掛かった。
「ダイエーにそのままいて、開幕に間に合わなくても、それこそ5月、6月、7月頃に投げられたらいいかな、とは思った。中日とか、すごく熱心に誘ってくれたんだけど、キャンプに行って、他の選手と競争しながら、開幕の頃に1軍にいられる、ということが俺には自信が持てなかった。迷惑が掛かるから、もう断ろうかと」
悔いなき現役引退
「3年連続開幕投手」
その名誉を胸に、西村は現役引退を決意した。
2000年、2001年も、開幕に合わせるのは「しんどかったよ」と吐露した。
「マウンドに上がるのに、もう無理です、っていう感じ。それはあったよ。それでちょっと、痛めた肘が治らなかったというのはあるけどね。でも、何も残らないで辞めていくよりは、まあまあしんどかったけど、こうやって、この歳になってもこういう話ができる、っていうのはよかったよ」
取材の席でも、西村は悔いの色など微塵も見せなかった。
それどころか“Vの使者”となった自分の存在を、誇らしげに振り返る姿は潔かった。その神通力は間違いなく、王ダイエーの1999年、2000年の連覇に貢献したと断言してもいいだろう。
〈つづく〉


