博多の人・王貞治BACK NUMBER
「走るとなんかぜいぜいするな」日本シリーズでホールド王の体に“異変”…王ダイエー歓喜の裏で悲劇の予兆「僕らも、プロって体が強いもんかな、と…」
posted2026/08/31 11:00
1999年日本シリーズ第5戦、日本一に王手をかけたホークス・王監督は、早い回から「勝利の方程式」の一角、藤井将雄を投入するが……
text by

喜瀬雅則Masanori Kise
photograph by
Koji Asakura
王ダイエー5年目、初の日本シリーズは本拠地・福岡ドーム(当時)で1勝1敗のタイとして、中日の本拠地・ナゴヤドーム(当時)へと乗り込むと、敵地で連勝。3勝1敗に持ち込み、日本一に王手をかけての第5戦を迎えていた。
1999年10月28日。
「やっぱり、勢いだよね。ペナントレースを勝ってね、あの時の勝った喜びは大きかったもんね。だって、瓢箪から駒、みたいなもんじゃない? もう、あれよ、あれよという間というのかな、その勢いで日本シリーズに来たからね」
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王は、勝負事に不可欠な“モメンタム”を、存分に感じ取っていた。
勝機と見た王の積極継投
巨人時代の1987年、監督4年目にして王は初のセ・リーグ優勝を果たしているが、日本シリーズでは西武に2勝4敗と敗れていた。結局、1984年から88年までの巨人監督5年間で、王は一度も日本一を達成していない。
ダイエーでも、前身の南海時代まで遡ってみると、1978年から王ダイエー3年目の1997年まで「20年連続Bクラス」という屈辱の歴史も刻んでいた。大阪から福岡へ本拠を移転して11年目での初優勝は、福岡を本拠地とする球団としては1963年の西鉄ライオンズ以来、36年ぶりとなる歓喜だった。
そして、いよいよ日本一の“頂”までもが、その視界に入ってきた。
1点を追っての3回、ダイエーは打者10人の猛攻で一挙6点を奪い逆転。その裏、ダイエー先発の左腕・佐久本昌広が2死から中日の4番、レオ・ゴメスに本塁打を浴びて2点目を許すと、続く立浪和義には四球を出してしまった。
ここで王は佐久本を諦め、2番手としてセットアッパー・藤井将雄を送り出した。


