博多の人・王貞治BACK NUMBER
「この人は何を言っているんだ、と」1993年、王貞治が仰天した“現監督からの就任要請”…「東京、大阪もあった」オファーからホークスを選んだ理由
posted2026/06/25 11:01
現場を離れていた王に、ダイエーの現監督である根本陸夫から「次期監督に」と仰天の勧誘が……
text by

喜瀬雅則Masanori Kise
photograph by
Tadashi Shirasawa
王、ダイエー監督に就任へ——。
そのニュースは1994年当時、驚きをもって伝えられた。
「世界の王」とまで呼ばれる偉大なる野球人が、なぜ万年Bクラスの弱小球団の監督を引き受けるんだ? 僚友・長嶋茂雄も巨人の監督に復帰した。ならば、次の目だってあるだろう。なのに、なぜ九州へ? 口さがない外野からは「都落ち」とまで言われた。
野球ができることの方が大事だった
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王の耳にも、そうした“雑音”がいやがおうでも聞こえてきたという。
「周りからはいろいろ、そういう風に言われたよね。でも、そんな受け止め方はしていなかった。福岡だから、ということに関しては、全然何も感じなかった。野球ができる、っていうことの方が大事だったよね」
世界記録の868本塁打を放ち、三冠王は2年連続2度、本塁打王は13年連続を含む15度を数え、1977年には日本初の国民栄誉賞を受賞。これらも、王の輝かしいキャリアにおいて、ほんのごく一部に過ぎない。巨人の王、そして世界の王として、長嶋茂雄とともに、まさしく「昭和のプロ野球」を牽引してきたヒーローだった。
巨人での現役生活は1959~80年、助監督が1981~83年、監督が1984~88年と、在籍期間は計30年。野球評論家としての“浪人期間”を5年間挟み、福岡ダイエーホークスの監督に就任したのは1995年。監督勇退は2008年。14年間の監督生活を終えると、そのままフロントに入り、球団会長を務めている。
だから、2026年で「博多でのプロ野球人生」は、32年目を迎えた。王はすでに、巨人にいたよりも、ホークスにいる方が長くなったのだ。

