博多の人・王貞治BACK NUMBER
「おい、ノーヒットだぞ?」落合博満より前にダイエー王貞治が決断していた“日本シリーズで無安打投手交代”…「個人記録は関係ないんだ」
posted2026/08/07 06:03
1999年、王ダイエーは日本シリーズで中日と激突した。王は勝利のためだけに次々と勝負手を打つ
text by

喜瀬雅則Masanori Kise
photograph by
Kazuaki Nishiyama
1999年の中日は、チーム防御率3.39。19勝でセ・リーグMVPにも輝いた左腕・野口茂樹、当時34歳のベテラン・山本昌、ダイエーからFA移籍した武田一浩、ルーキーイヤーに新人王を獲得した2年目の川上憲伸ら、実力も実績も十分の先発陣に、ストッパーは1996年からの4シーズンで98セーブを挙げた韓国出身の剛腕・宣銅烈がいた。
その一方で、チーム打率はリーグ4位の.263、本塁打120も同5位。つまりは、強力な投手陣をベースに、少ない得点を守り抜いてきたチームだ。
尾花高夫が作り上げたダイエー投手陣も、チーム防御率はパ・リーグ4位ながら、1998年の「4.02」から、99年には「3.65」と大きく改善させていた。チーム打率も.257だから、その年の王ダイエーと星野中日は、数字の上では“似たチーム”だった。
中日の“あの2人”を抑えよ
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「もう、ばっちり、ミーティングをやったよ。“あの2人”さえ抑えておけば、後は大したことないからね」
尾花がキーパーソンに挙げたのが、関川浩一とレオ・ゴメスだった。
阪神から移籍2年目の関川は、星野中日の“不動の1番打者”。打率.330はセ・リーグ2位。20盗塁をマークするなど、足を絡めた攻撃で相手をかき回してくる。4番ゴメスは36本塁打、109打点。つまり、関川が出て、ゴメスが還す。この得点パターンを封じることが、短期決戦を制するカギとなる。
尾花は、関川の「癖」を徹底的に分析した。投球に合わせて、タイミングを取る関川の右足は、外角を狙うときと、内角を待っているときでは、微妙に変わってくる。そうした傾向を踏まえた上で、エースの工藤公康と城島健司のバッテリーが、関川の“裏”を突くリードで初戦から完全に封じ込め、まず3-0で先勝。初戦でバッティングの調子を狂わされた関川は第4戦まで無安打、シリーズのトータルでも21打数2安打の打率.095に終わり、いわゆる“逆シリーズ男”となってしまった。

