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「最初は、冗談かな? と」現役投手に“余命3カ月”宣告…ダイエー初の日本一直後、王貞治の驚愕「あんな元気な人が、命にかかわる病気だなんて」

posted2026/08/31 11:01

 
「最初は、冗談かな? と」現役投手に“余命3カ月”宣告…ダイエー初の日本一直後、王貞治の驚愕「あんな元気な人が、命にかかわる病気だなんて」<Number Web> photograph by Kazuaki Nishiyama

歓喜の日本一の直後、藤井将雄の検査結果は衝撃的なものだった。一報を伝えられた王は驚愕しつつも素早く行動を起こす

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喜瀬雅則

喜瀬雅則Masanori Kise

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Kazuaki Nishiyama

1995年シーズン、福岡ダイエーホークスの監督に就任して以来30年以上。王貞治の博多での野球人生は、もはやジャイアンツでのそれよりも長くなった。今や常勝軍団となったホークスだが、ここに至る道のりは決して平坦ではなかった。1999年、悲願の日本一となった王ダイエー。だがその直後、セットアッパー・藤井将雄の身に衝撃の事態が起きる。〈連載「博多の人・王貞治」第22回/つづきを読む

 優勝パレードは、歓喜の日本一から10日後の11月7日に行われた。

 午前中に北九州、午後に福岡市内。沿道は人、人、人であふれ、福岡でのパレードには30万人が集結。博多座の2階からは紙吹雪が舞い、西鉄グランドホテルの前には、かつての西鉄ライオンズの優勝ペナントが飾られ、パレードの列が通り過ぎる時、そのホテル前の大名町教会の鐘が、高らかに鳴り響いた。

「おめでとう!」「ありがとう!」

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 ファンの労いの声に、選手たちはひたすらに手を振り続け、感謝の思いを表した。

 その感激の余韻も冷めやらぬまま、藤井将雄は翌8日、本拠地・福岡ドーム(当時)と道一本隔ててすぐ横にある「国立病院九州医療センター」で精密検査を受けるために入院した。

余命3カ月、長くても半年

 レギュラーシーズン終了後のメディカルチェックでレントゲン検査を受けると、藤井の肺に「影」が映っていたことが判明していた。1週間近くに渡った検査入院の末、藤井の母親をはじめとした家族、親しい関係者が病院に集められた。

 そこで告げられたのは、にわかには信じられない、衝撃の診断結果だった。

 末期の肺がん。余命3カ月、長くても半年——。

 その事実は、藤井本人には伝えないことにした。それでも、少なくとも球団や王には、その“真の病状”を知っておいてもらわなければならない。

 若田部健一(現ソフトバンク1軍投手コーチ)が「藤井将雄後援会」の事務局長・北方伸一からの電話を受けたのは、秋季キャンプのため、高知に滞在しているときだった。

【次ページ】 若田部健一の葛藤

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