博多の人・王貞治BACK NUMBER
「最初は、冗談かな? と」現役投手に“余命3カ月”宣告…ダイエー初の日本一直後、王貞治の驚愕「あんな元気な人が、命にかかわる病気だなんて」
posted2026/08/31 11:01
歓喜の日本一の直後、藤井将雄の検査結果は衝撃的なものだった。一報を伝えられた王は驚愕しつつも素早く行動を起こす
text by

喜瀬雅則Masanori Kise
photograph by
Kazuaki Nishiyama
優勝パレードは、歓喜の日本一から10日後の11月7日に行われた。
午前中に北九州、午後に福岡市内。沿道は人、人、人であふれ、福岡でのパレードには30万人が集結。博多座の2階からは紙吹雪が舞い、西鉄グランドホテルの前には、かつての西鉄ライオンズの優勝ペナントが飾られ、パレードの列が通り過ぎる時、そのホテル前の大名町教会の鐘が、高らかに鳴り響いた。
「おめでとう!」「ありがとう!」
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ファンの労いの声に、選手たちはひたすらに手を振り続け、感謝の思いを表した。
その感激の余韻も冷めやらぬまま、藤井将雄は翌8日、本拠地・福岡ドーム(当時)と道一本隔ててすぐ横にある「国立病院九州医療センター」で精密検査を受けるために入院した。
余命3カ月、長くても半年
レギュラーシーズン終了後のメディカルチェックでレントゲン検査を受けると、藤井の肺に「影」が映っていたことが判明していた。1週間近くに渡った検査入院の末、藤井の母親をはじめとした家族、親しい関係者が病院に集められた。
そこで告げられたのは、にわかには信じられない、衝撃の診断結果だった。
末期の肺がん。余命3カ月、長くても半年——。
その事実は、藤井本人には伝えないことにした。それでも、少なくとも球団や王には、その“真の病状”を知っておいてもらわなければならない。
若田部健一(現ソフトバンク1軍投手コーチ)が「藤井将雄後援会」の事務局長・北方伸一からの電話を受けたのは、秋季キャンプのため、高知に滞在しているときだった。

