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「もしもし、王です」「どちらにお掛けですか?」“優勝請負人”にホークス王貞治からまさかの電話…そして野村克也が「考え直せ!」と言ったワケ

posted2026/08/06 11:04

 
「もしもし、王です」「どちらにお掛けですか?」“優勝請負人”にホークス王貞治からまさかの電話…そして野村克也が「考え直せ!」と言ったワケ<Number Web> photograph by Kazuaki Nishiyama

尾花高夫(左)の家の電話を鳴らしたのは王(右)だった。その真意と、野村克也との関係とは

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喜瀬雅則

喜瀬雅則Masanori Kise

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Kazuaki Nishiyama

1995年シーズン、福岡ダイエーホークスの監督に就任して以来30年以上。王貞治の博多での野球人生は、もはやジャイアンツでのそれよりも長くなった。今や常勝軍団となったホークスだが、ここに至る道のりは決して平坦ではなかった。勝負の5年目、王は優勝請負人として、ある男を自ら招聘する。〈連載「博多の人・王貞治」第14回/つづきを読む

 1957年生まれの尾花高夫は、8月に69歳となる2026年、社会人のショウワコーポレーションで「チーフバッテリーコーチ」に就任した。本拠地の美作市は、岡山県の北東部、兵庫と鳥取の両県と県境を接する、人口約2万2000人の山間の街。1994年に創部されたクラブチームから、企業チームとして活動を始めたのは2026年から。

 社会人野球の最高峰ともいえる夏の都市対抗野球出場を目指す中で、尾花は月に「20日くらい指導」して、横浜の自宅に「10日くらい戻って来る」という。今なお、精力的に野球指導の現場に立ち続ける日々を送っている。

弱いヤクルトのエースから名コーチに

 ヤクルト一筋、14年間の現役生活で通算112勝。強くなかったヤクルトゆえに、2桁敗戦も6度。1986年から3年連続でリーグ最多敗戦も記録した。しかしそれは、弱いチームで孤軍奮闘、エース格としてひたすら投げ続けたという、尾花のタフさの証明でもある。

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 現役引退後、1995年から2年間、千葉ロッテで1軍投手コーチ、1997年からは野村克也の招聘で古巣・ヤクルトの1軍投手コーチを務めた。配球の分析表は縦9分割、横9分割の全81マス。ストライクゾーンは縦、横ともに「3」から「7」の中央に位置した縦5マス、横5マスの計25マスで、その正方形を取り囲む形になる「1」「2」と「8」「9」にあたる計56マスはボールゾーン。1マスごとに番号が振られ、バッテリーミーティングでは、その数字によって配球が確認される。

 野村のID野球が裏付けにある尾花のきめ細かい指導で、ヤクルトのチーム防御率は1996年の4.00から3.26に改善され、2年ぶりのリーグ制覇と日本一を達成。しかし翌98年に4位に転落すると、野村は9年間の長期政権にピリオドを打って辞任する。

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