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「奇跡というか」余命3カ月のはずが2軍戦に登板したホークス中継ぎエース…「いつもと変わらず、藤井さんに甘えていた」斉藤和巳の“違和感”
posted2026/08/31 11:03
本人は病名を知らされていなかったとはいえ、余命3カ月と言われるなかで2軍戦で登板するまで回復した藤井将雄の精神力は、奇跡とも呼べるものだった
text by

喜瀬雅則Masanori Kise
photograph by
Koji Asakura
開幕投手は2年連続となる西村龍次に譲ったが、工藤公康が抜けた先発ローテーションの中心を担ったのは若田部健一だった。4月13日の西武戦(西武ドーム=当時)で、1999年の全試合にマスクをかぶった捕手・城島健司が守備中にファウルの打球を右人差し指に受け骨折、2カ月の戦線離脱を余儀なくされるアクシデントにも見舞われながらも、4年目の松中信彦(現中日1軍打撃統括コーチ)が、当時の自己最多となる33本塁打を放つなど、小久保裕紀とともに、打でチームを牽引。プロ20年目・38歳の秋山幸二は通算2000安打を通算2000試合出場の試合で決めるなど、リーグ連覇へ向けての激闘が続いていた。
そのシーズン真っ只中に“奇跡の報”が届いた。
奇跡的な回復
藤井将雄が2軍戦で登板。その後、さらに5試合に投げたというのだ。
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余命3カ月、長くて半年。医師からのその宣告通りだとしたら、5月に実戦マウンドに立っていることなど、あり得ないことなのだ。
若田部は、藤井の“奇跡の回復”に、もちろん喜びを感じながらも、その一方で驚きと疑問の念も拭えなかったという。
「練習開始しました、試合投げました、という風なところは、うれしい反面、大丈夫なのかな、というのは常に、気持ちの中にありました。奇跡というか、治るものだと思いながらも、実際に自分が“そういう人”と直面したのは初めてだったんで……。僕の中では、動けるんやったら、治るんじゃないの? みたいな、そういう風な思いでしたね」
どこか落ち着かない気持ちを抱えながらも、若田部は2000年、チーム最多の168回3分の2を投げ、9勝をマーク。先発と中継ぎでフル回転し、連覇に貢献している。

