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「ショックで、震えが止まらんかった」藤井将雄逝去の激震のなかで王ダイエーが挑む史上最大の決戦“ONシリーズ”「ちょっと辛かった…」

posted2026/08/31 11:05

 
「ショックで、震えが止まらんかった」藤井将雄逝去の激震のなかで王ダイエーが挑む史上最大の決戦“ONシリーズ”「ちょっと辛かった…」<Number Web> photograph by KYODO

藤井将雄のあまりにも早すぎる死がホークスの仲間たちに残した思いとは。そして否応なく、20世紀最後にして最大の決戦が訪れる

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喜瀬雅則

喜瀬雅則Masanori Kise

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1995年シーズン、福岡ダイエーホークスの監督に就任して以来30年以上。王貞治の博多での野球人生は、もはやジャイアンツでのそれよりも長くなった。今や常勝軍団となったホークスだが、ここに至る道のりは決して平坦ではなかった。2000年、パ・リーグを制した王ダイエーだが、藤井将雄の死去という激震のなか、日本シリーズに挑むことになる。対戦相手は、長嶋巨人——。〈連載「博多の人・王貞治」第26回〉

 日本シリーズに備え、高知での黒潮リーグでも主力投手陣が調整登板を行っていた。捕手として参戦していた城島健司が、藤井将雄の『死』を伝えられたのは、高知でのことだった。

「聞いたとき、どの藤井さんか分からなかったですもん」

 あの藤井と『死』が、城島の心の中で繋がらなかったのだ。

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「例えば事故とかなら、メジャーでも僕は何度か接したこともあるし、聞いたこともありました。でも病気で、しかも31歳でしょ? なんか、震えが止まらんかったのを覚えています。ホント、ショック過ぎて……」

 故郷・唐津で行われた葬儀・告別式は生きていれば藤井の32歳の誕生日だった10月16日。日本シリーズ開幕の5日前のことだった。斉藤和巳は、黒潮リーグでの登板予定があらかじめ決められていたため、藤井の葬儀にはスケジュールの都合で参列できず、通夜に出た後、そのまま高知へ向かった。

若田部が「藤井ハリー」にしのばせたもの

 告別式には、王をはじめ、ダイエーのコーチ、選手たちがユニホーム姿で参列。日本シリーズで対戦する巨人に移籍していた工藤公康も、喪服で参列し、藤井の棺をかついだ。

「今、こうしてここにいることが、本当に信じられません」

 弔辞を読んだのは、若田部健一だった。

「そして、もうすぐ日本シリーズです。チャンス、ピンチのときはグラウンドに来て、みんなに気合を入れてください。これからもずっと藤井さんとは一緒です」

 涙ながらに、藤井にそう誓った若田部は、工藤とともに火葬場まで赴いた。2人はお骨上げの後、分骨を申し出ている。

 その“分身”を、若田部は「15」のユニホームを身にまとった「藤井ハリー」にそっと忍ばせ、その視線をマウンドの方に向けて、ベンチに座らせていた。

【次ページ】 「最初で最後になってほしい」葛藤

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