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「声援の大きさは絆みたいなもの」いまなお互いを支え合うフィギュアスケート姉妹の姉・浅田舞が語る、心に残る言葉の力と妹・真央との新たな関係性
posted2026/11/02 10:30
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野口美惠Yoshie Noguchi
photograph by
Miki Fukano
フィギュアスケートの演技直前、選手がスタートのポーズを取ると、それまでの声援や拍手はピタリと止まる。プログラム曲の最初の音を待ち、張り詰めた空気に満たされた場内は、咳払いもできないほどだ。その静寂を切り裂き「頑張れーっ」とひとりのファンが叫ぶ。
「すごい勇気だなって思いました。シーンとなっている中で、ひとりだけ声を出すのって、その方自身も緊張すること。それでもやっぱり応援の声を届けたいっていう強い気持ちがあって、あの場面で声を出してくれている。本当に嬉しくて、スタート直前の一番緊張している時にパワーをいただいていました」
妹の真央と共に幼少期から姉妹フィギュアスケーターとして注目され、国内外の大会で活躍してきた浅田舞。競技引退後は、社交ダンス、演劇、テレビ番組など、多彩な分野への挑戦を続けている。その活躍の日々は、いつも周りの声援とともにあった。
「私の場合は、演技中でも声援が鮮明に聞こえるタイプでした。ファンの方々は、『次は難しいジャンプ』『次は最後の技』ということを覚えてくれていて、それが決まると声援の大きさで喜びが伝わってくるんです。また、スパイラルやステップといった個性を見せる場で声援が沸き起こると、選手としては本当に嬉しかったですね」
多くのファンに支えられた浅田だが、特に心に残る言葉があるという。
「演技が終わった後に、『ありがとう』って言ってもらえる時があって、その時の、嬉しいを超えたなんとも言えない気持ちをよく覚えています。私達は応援される立場ですが、ファンの方もそこから『何か』を感じ取って、その方の心に届いたからこそ出る言葉。芸術的な感動や感情を伝えられたというのは、試合の結果を超えた喜びでした」
演技中、声援を送るのはファンだけではない。リンクサイドにいるコーチたちも、それぞれのスタイルで選手を励ます。浅田はジュニアの頃から山田満知子に師事し、シニアに上がってからは米国のラファエル・アルトゥニアン、ロシアのタチアナ・タラソワらの名コーチに指導を受けた。
「満知子先生は、なんといっても安心感がありました。本番直前に先生が手をぎゅっと握って『いってらっしゃい』と言ってくれると、包み込まれているような気持ちになって『行ってきます』と滑り出ていくことが出来ました。逆に、ラファエルは熱血派。後半のステップで疲れてくると、先生が壁を叩いて『Push、Push』って叫んでいるのが聞こえてきました。また、試合中リンクの壁から身を乗り出し、今にも落ちそうな勢いでロシア語を叫ぶタラソワ。その姿からあふれる情熱は言葉が分からなくても何を伝えたいのかが伝わってくるほどで、見ているこちらまで大きなパワーをもらいました」
妹・真央を励ます言葉
現役引退後は妹を応援する立場に。2010年バンクーバー大会では、キャスターとして現地に赴いた。
「会場は、とにかく声援と拍手の音がすごかったです。すり鉢状の会場で音が共鳴して、本当に、声援で会場が揺れていたんです。観ているだけでドキドキして、自分の心臓が口から出てきそうな経験をしたのは、あれが最初で最後でした」
真央はフリーで2本のトリプルアクセルを決め、銀メダル。浅田はインタビューエリアで待機し、悔し涙にくれる真央と対面した。
「『お疲れ様、真央』ってハグをして、もうお互い、泣いて、泣いて。真央は普段ミスしない所でミスをしたので悔しいだろうな、というのは分かっていました。でも私自身としては、声援の嵐で揺れるあの会場を体験して、『こんな中で滑った真央はすごい!』って思っていました」
その4年後、今度はソチ大会に出場した真央を日本から応援した。しかし真央はショートで力を発揮できず、16位発進になってしまった。
「演技のあとすぐにSNSでメッセージを送ったのですが、返信がなくて。やっぱり私の生の声でちゃんと伝えないと、と思って電話しました。まずは電話に出てくれたので、『あ、良かった』と。そこからは探り探り『これを言ったら気にするかな』とか考えながら、言葉を選んで話していきました」
考えつく限りの励ましの言葉を伝え続けた浅田。しかし、簡単には妹の気力は回復しなかった。
「私が何を言っても、真央は『うん』しか言わないんです。それで私が『もう、楽しんでやらないとダメだよ』って言ったら、急に真央が怒って『楽しんでなんて、できるわけないじゃん!』って叫んだんです。私は『しまった、発言をミスした』と一瞬思ったのですが、すぐにお母さんのことを思い出しました。子どもの頃、真央が失敗したときに、お母さんは慰めるのではなく、怒っていたなって。それに対して真央も怒り、奮い立って、次に頑張ることが多かったんです。エネルギーが0になっていた真央の悶々としていたものが爆発したので、『これは大丈夫かも』と思いました」
翌日、気持ちを切り替えた真央は、フリーでパーフェクトの演技を滑りぬく。それを浅田は日本から見守り、安堵の涙を流した。
「誰よりも近くで応援したい。でも、近い存在だからこその難しさもある。大切な人だからこそ、応援することの意味を考えさせられる。そんな経験をしました。気持ちって繊細なものなので、ひとつの言葉で出来事が大きく左右されます。結果オーライでしたが、演技が終わるまでは本当にドキドキでした」
その後、浅田が社交ダンスの大会に挑戦するようになると、今度は妹から応援される立場を経験した。
「社交ダンスでは選手の背番号を叫ぶんですけれど、真央は誰よりも大きい声で『32番! 頑張れ』って叫んだり、たまに興奮しすぎて『舞!』って名前を叫んだりして。私たち姉妹は声がそっくりなので、お互いの声ってよく聞こえるんですが、真央の声が、だんだんガラガラ声になっていくんですよ。でもそれだけパワーをもらっている証拠。声援の大きさは姉妹の絆みたいなものだなと感じました」
新たな挑戦を後押しするのどのケア
そんな浅田も、2017年に舞台女優デビューすると、のどのケアの重要さを知る。そんな時に支えになったのが、龍角散ダイレクトだった。
「大人気のコミック『煉獄に笑う』が原作の舞台で1カ月近く公演に出させていただいたのですが、セリフも殺陣もあり、すべてが初めての経験でした。ロングランの舞台では、どんなに保湿していても声はかれてくるもの。その時に出会ったのが、龍角散ダイレクトと、銀の缶の龍角散です。舞台俳優の子たちから教えていただいたのですが、特に龍角散ダイレクトは、いつでも手軽に水なしで飲めるので、少しでものどに不快感を覚えたら、ミント味の龍角散ダイレクトスティックやマンゴー味の龍角散ダイレクトトローチを隙あらば口の中に入れていました」
さらにアルゼンチンタンゴの舞台でも、龍角散ダイレクトは必携アイテムになった。「本番前は緊張するとのどが乾きますし、緊張で呼吸が上がっているときって水がのどを通らないんです。そういう時に、龍角散ダイレクトならのどに直接届いて潤してくれます。だからお守り代わりにシューズバックに入れておいて、本番直前にマンゴー味のトローチを口に入れていました。私にとって龍角散ダイレクトは、舞台や社交ダンスを支えてくれた思い出のアイテムです」
2024年にはダンスを通じて培った学びを生かし、真央のアイスショーに振付師として参加する機会もあった。
「真央と思いを共有し合いながら、ひとつのものを作り上げていくという新しい経験でした。その頃から真央とは、仕事やスケート、さまざまなビジョンを共有するようになりました。今、真央は指導者としての道へと進み、私は舞台やテレビで、お互いが違うステージで夢を追っている。昔よりも一緒にいる時間が長くなり、ようやく家族らしい時間を取れるようになってきました。子どもの頃よりも話す内容が深くなっています」
30代後半になり、時を重ねた姉妹は、支え合いながら人生を歩んでいく。
「年齢を重ねて、妹とはお互いの体のケアについて話すことも多くなりました。私は風邪をひいた時に最初にのどから来るタイプなので、やはりのどのケアは大切にしていきたいです。のどをしっかりケアしていると、何か挑戦する時に、それがお仕事でも、スポーツでも、恋愛でも、どの挑戦でも後押しになる。私は子どもの時からフィギュアスケートを始めて、挫折もありながら、芸能界でも幅広くお仕事を経験させていただいています。今はどんな出来事も『ありがたいなあ』と思えます。これからものどのケアに気を遣いながら、何歳になっても新しいことに挑戦する気持ちを大切にしていきたいと思います」
衣装協力=BANANA REPUBLIC(ドレス)/ダイアナ(シューズ)/STELLAR HOLLYWOOD(アクセサリー)
浅田 舞Mai Asada
1988年7月17日生、愛知県出身。7歳からフィギュアスケートをはじめ、2001年から山田満知子氏と樋口美穂子氏に師事。2002-03シーズンに世界ジュニア選手権に出場して4位入賞。06年からはロサンゼルスに練習拠点を移してラファエル・アルトゥニアン氏に師事し、2006-07シーズンからISUグランプリシリーズに参戦。その後08年に名古屋に拠点を移したが、そのシーズンの全日本選手権が現役最後の大会出場となった。事実上の現役引退後は、アイスショーやイベント等に出演するほか、各種テレビ番組でコメンテーターやキャスターとしても活動している。







