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「もう、ロッテは断れ」「神戸には、熱がない」ダイエーはなぜ南海を買収し、なぜ福岡を選んだのか…福岡ダイエーホークス誕生の“内幕”

posted2026/06/25 11:02

 
「もう、ロッテは断れ」「神戸には、熱がない」ダイエーはなぜ南海を買収し、なぜ福岡を選んだのか…福岡ダイエーホークス誕生の“内幕”<Number Web> photograph by Toshihiko Iikubo

なぜ、買収されたのはホークスだったのか。なぜ、移転先は福岡だったのか。王貞治の運命を動かす決断の内幕とは

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喜瀬雅則

喜瀬雅則Masanori Kise

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Toshihiko Iikubo

1995年シーズン、福岡ダイエーホークスの監督に就任して30年以上。王貞治の博多での野球人生は、もはやジャイアンツでのそれよりも長くなった。今や常勝軍団となったホークスだが、ここに至る道のりは決して平坦ではなかった。球団買収をもくろむダイエーが「ホークス」「福岡」を選んだのはなぜだったのか?〈連載「博多の人・王貞治」第3回/つづきを読む

 大阪生まれの瀬戸山隆三は、大阪市立大(現・大阪公立大)を卒業すると、1977年にダイエーに入社した。

「商社に行きたかったけど、全部落ちた。でも、入ったからには、食品を世界のベストソースから買うような、まあ、商社みたいな部門で仕事がしたかったんよ」

 食肉担当となった瀬戸山は、茨城県にある肉の専門学校にも派遣された。半年間の修業を終えると、スーパーの店内で肉の調理やスライスも行うようになる。

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「これはこれで面白かったんよ」と“肉のスペシャリスト”への道を歩み出していた瀬戸山の人生が大きく変わるきっかけとなったのが「プロ野球」だった。大阪府立住吉高で硬式野球部、大阪市立大では準硬式野球部でプレーしていた瀬戸山は、昔取った杵柄とばかりに、社内の部署別野球大会で活躍する。

「君、野球やってたよな?」

 そこに着目したのが、当時の人事本部長・鈴木達郎だった。

 1980年には39歳の若さでダイエー取締役に就任した鈴木は、スポーツ担当の常務として女子バレーボール部、ソウル、バルセロナ五輪の男子マラソンで2大会連続日本代表に選出された中山竹通が所属した陸上競技部を設立。南海球団の買収と福岡への本拠地移転にも中心的な役割を果たし、福岡ダイエーホークス誕生における“影の仕掛人”とも言われている。

「君、野球やってたよな? ぴったりの部署があるんや」

 鈴木との出会いを機に、瀬戸山は1988年1月、神戸本店室へ異動となる。その室長を務めていたのが、後にダイエーの初代球団社長となる鵜木洋二だった。

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