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「俺が監督の間は勝たん。そして俺の次がワンちゃん(王貞治)だ」ダイエー新監督がいきなり明かした驚愕の策…「ON対決をやる。それしかない」

posted2026/06/25 11:03

 
「俺が監督の間は勝たん。そして俺の次がワンちゃん(王貞治)だ」ダイエー新監督がいきなり明かした驚愕の策…「ON対決をやる。それしかない」<Number Web> photograph by KYODO

ダイエーに全権監督として就任した根本陸夫(左)だが、自身の勝ち負けよりも先のことを見据えていた

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喜瀬雅則

喜瀬雅則Masanori Kise

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1995年シーズン、福岡ダイエーホークスの監督に就任して30年以上。王貞治の博多での野球人生は、もはやジャイアンツでのそれよりも長くなった。今や常勝軍団となったホークスだが、ここに至る道のりは決して平坦ではなかった。1992年、ダイエーの全権監督を任された根本陸夫が明かした、驚愕の「野球人気回復策」。それが“王の招聘”だった。〈連載「博多の人・王貞治」第4回/つづきを読む

 1992年11月。

 当時の球団総務部長だった瀬戸山隆三は球団オーナーの中内㓛に呼ばれ、東京・浜松町のダイエー本社へ出向いた。そこには、瀬戸山のその後の運命を決める、大きな出会いが待っていた。

「社長室に入ったら、根本さんがそこに座っていたんです」

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 中内は根本陸夫に、こう“懇願”した。

「使い走りも、秘書役も、洗濯も、車の運転も、何でも瀬戸山にさせてください。根本さんの“下”につけますから、強いチームはどうやって作ったらいいのかというのを、こいつに教えてやってください」

 西武の黄金期を築いたように、ダイエーを強いチームに変えてほしい。

 南海時代の1978年以来15年連続Bクラスで、球団買収からの4年間も順位は4、6、5、4。中内は根本に「監督兼球団取締役」として、現場だけでなく、フロントの強化を含めた、それこそチームに関する“全権限”を託していたのだ。

福岡ドームにふさわしい大物監督を

 この時、中内はもう一つ、大きな野望を抱いていた。

 福岡ドーム(当時)が、日本初の開閉式屋根を備えたドーム球場として開業したのは1993年。中内は、日本初の開閉式ドームという、スケールの大きな「ハード」にふさわしい大物監督を迎えたいという思いが強く、その“意中の人”が、王貞治だったという。

 どうすれば、王を招聘できるのか。

 中内の夢プランを実現できるだけの“腕力”を持つ球界の実力者として、周囲から勧められたのが根本陸夫だったといわれている。

【次ページ】 野球人気のため、王貞治を博多に呼ぶ

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