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「バカ野郎、俺が勝っても何ともならん」ダイエーは負けても負けても「これでいいんだ」!? 剛腕でチーム再建へ、根本陸夫監督の“深謀遠慮”とは
posted2026/06/25 11:04
自分が監督なのにチームが好調だと困惑していたという根本。その裏でフロントとしての剛腕で好選手を続々と獲得する
text by

喜瀬雅則Masanori Kise
photograph by
Kazuaki Nishiyama
その頃、根本陸夫の“思惑”に反して、ダイエーは快進撃を見せていた。
根本の監督1年目、1993年は45勝80敗5分けと大きく負け越し、優勝した西武に28ゲーム差をつけられての最下位。これは“予言通り”の低迷ぶりだ。ところが、翌1994年は開幕4連勝スタート。開幕月の4月は12勝7敗で首位に立ち、前半戦でも首位西武に1.5ゲーム差に迫る2位での折り返しだった。
「また勝った。どうするんだ、これ?」
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チームが好調なのに、困惑する監督というのもおかしな話だが「なら、勝ってもええじゃないですか?」という球団代表を「バカ野郎」と一喝する監督も前代未聞だろう。
「俺で勝って、野球界が盛り上がるか? ON対決をせんとアカンのだ。俺が勝ったところで、何ともならんのだ」
4位フィニッシュに「これでいいんだ」
最終成績は69勝60敗1分け、優勝の目も一時は出ながらも、優勝した西武とは7.5ゲーム差の4位。根本は「これでいいんだ。ワンちゃんが来る前に中途半端なことになったら大変なんだ」と、むしろ満足気に瀬戸山隆三に“総括”したのだという。
2年間の監督時代も、根本は常に、次なる“王時代”を見据えていた。
あるビジターでの試合後、宿舎のホテルへ戻るバスの中で、根本はユニホームを脱ぎ始めると、準備していたスーツに着替え、赤信号でバスが止まったタイミングで「俺はここで降りるわ」。呆気にとられる選手たちを横目にバスを降りた根本は、たった一人で街の雑踏の中へと消えていったという。後に伝え聞いたところでは、その地に有望なアマチュア選手がいて、根本はその関係者に会いに行ったのだという。

