博多の人・王貞治BACK NUMBER
「もう、辞めて東京に帰ってこい」悪夢の屈辱…悩める王貞治はなぜダイエーに踏みとどまったのか?「王さん辞めさせるなら、君が辞めなさい!」
posted2026/07/10 11:09
勝利への意思がなかなか伝わらず低迷する時期、王の悩みは深かった。周囲からは辞任を勧める声もあったというが……
text by

喜瀬雅則Masanori Kise
photograph by
Kazuaki Nishiyama
話を、あの“悪夢の夜”に戻そう。
王と選手たちを乗せたバスは、とにもかくにも、大阪・中津の宿舎ホテルへ帰還した。
「しかし、なかなか辛かったよ」
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安堵と屈辱。瀬戸山隆三の心中も複雑だった。あまりの事の大きさに、夜遅い時間にもかかわらず、オーナーの中内㓛に電話を入れた。
事の経緯を聞いた中内の口調が、次第に激しくなっていく。
「瀬戸山、君は今、どこにおるんや?」
「宿舎のホテルです」
「まさか、君、一緒にバスに乗って、逃げたんとちゃうやろな?」
「いえ、逃げるも何も、とにかく王さんと一緒に帰ってきました」
中内オーナーの怒りと苦悩
そこまで聞くと、中内の怒りが爆発した。
「君の仕事は、そこに残って、ファンに『不甲斐ない負けで申し訳ない』と土下座して謝ることだ。そのために球団代表をやっとるのと違うのか?」
好転しないチーム状況に、中内も苦悩していたのだと、瀬戸山は慮った。
「中内さんにしてみたら、王さんに来ていただいたのにこうだと。それはもう、フロントが悪いんだと。フロントがしっかりしないから、こういうことになるんだ、と」
中内は、神戸高商(現・兵庫県立大)時代、俳句のサークルに入っていたこともある“文学青年”でもあった。達筆で筆まめ、ダイエーのキャッチフレーズも中内自ら、数多く作り出したといわれる。その一つ「顔出せ、声出せ、頭下げ」は、瀬戸山がダイエーの肉売り場で働いていた頃に中内自らが作成した、商売人としての心構えを説いた“社訓”で、いたるところに中内がしたためた毛筆のそれが、各店舗に貼られていたという。

