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「正直、しんどかった」「外に出たくなくなって…」なぜ吉田輝星は“軟禁状態”だったのか…救世主は清宮幸太郎「半分、持って行ってくれた」
posted2026/11/09 06:02
インタビュー中に笑顔を見せる吉田輝星
text by

近藤裕介Yusuke Kondo
photograph by
Keiji Ishikawa
あれから、もう8年がたった。2018年、夏。第100回の記念大会だった甲子園で、秋田代表・金足農業が旋風を巻き起こした。その中心は、端正なマスクに、どこかやんちゃな雰囲気も漂わせたエース・吉田輝星だった。決勝で大阪桐蔭に敗れ、しばらくしてから、吉田は進路を大学からプロへ変更する。決断に「後悔はない」と言いながらも、「本当に申し訳なかった」と懺悔する理由は――。大フィーバーの中で迎えたドラフト会議、人気者ゆえのプロ入り後の苦悩など、当時を振り返りながら本音を語ってもらった。《全3回の最終回/第1回、第2回も公開中》
日本ハムからドラフト1位指名を受け、安心したのも束の間、吉田は“スターの宿命”に翻弄されることになる。年明けには秋田を離れ、球団の二軍施設がある千葉・鎌ケ谷で寮生活を始めたが、どこに行っても、周囲の視線から逃れることのできない生活が続いた。
1月の新人合同自主トレが始まると、鎌ケ谷スタジアムにファンが殺到した。もちろん野球選手として、グラウンドでのプレーを応援してもらえることはこの上ない喜びだ。練習後のサインも、できる限り書いてきた。ただ、プライベートな時間まで浸食されてしまうと、心休まる暇がない。
「甲子園の前と後で、すべてが変わった」
「当時、どこに行っても声を掛けられて、正直、それがしんどかったんです。そういうのがあって、外に出たくなくなって。20歳になるまでは特に、本当に外に出ていなかったですね。いつも見られている感じで、何もできないんですよ。『あ、吉田があんなことやっている』みたいに言われるのも嫌だし。あんまり遊びに行った記憶もない。しばらく、プライベートはなかったです。野球ばっかりやっていました。甲子園の前と後で、すべてが変わりましたね。負担は掛かるし、めちゃくちゃストレスでした」
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“軟禁状態”だった吉田の救いになったのは、同じく高卒ドラ1で1年早く日本ハムに入団していた清宮幸太郎の存在だ。幼少期から注目を浴び続けてきた先輩が、重い荷物を半分、背負ってくれた。

