博多の人・王貞治BACK NUMBER
「先祖の墓は、どこにあるんだ?」王貞治が謎の質問をした不振の開幕投手の“強気伝説”とは?「危険球ルールを変えたのは、俺だから」
text by

喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKoji Asakura
posted2026/09/29 11:07
開幕戦で好投したが、その後成績が上がらない西村龍次に王は驚きの声をかける。西村は期待されれば絶対に応えたいという強気の男だった
西村の「向こう意気」を物語るエピソードは数知れない。
ヤクルト時代の1994年5月11日の巨人戦(神宮)の7回、西村の投じた内角球に激高したダン・グラッデンが、マウンドへ向かおうとした。制止しようとした捕手の中西親志にグラッデンが右アッパーを食らわせると、グラウンド上で両チームが入り乱れての大乱闘が発生した。翌12日、西村と中西、グラッデンにはセ・リーグの連盟事務所で異例となる事情聴取が行われ、西村は出場停止5日間と制裁金10万円、グラッデンも出場停止12日間と制裁金10万円をそれぞれ課され、中西も戒告処分を受けている。
その大乱闘に至るまでの、不穏な伏線もあった。2回に西村が巨人・村田真一に左後頭部へ死球を与え「危険球」の判定。当時はまだ即退場ではなかったため西村は続投した。すると3回、巨人・木田優夫が打席の西村の「尻」に死球を当てている。
危険球ルールを変えたのは、俺
ADVERTISEMENT
目には目を、やられたらやり返す。
90年代のプロ野球には、その“猛々しさ”が色濃く残っていた。この事件を機にセ・リーグのアグリーメントは「頭部、顔面への死球があれば、投手は即退場」と改められた。
事が事だけに、あまり茶化したくはないが、30年以上の月日が流れた今だから、少々大目に見ていただきたい。
そう言われて、ついつい、私も「そうやな」と大きく頷いてしまった。
「だから、ルールを変えたのは、俺なんよ」
これも、西村の“強気伝説”の一つに数えられるだろう。
〈つづく〉

